2008-01-01から1ヶ月間の記事一覧

時空の間隙

今天は八千年前と八百年前の時空往還二本立て。 先週緊急に調査した縄文時代早期の炉穴遺構。担当者の努力と関係業者の協力もあって、僅かに残された周辺部分の調査が出来ることになった。午前中は表土の再掘削立ち会ひと、整備。巨大なユンボのバケツで薄く…

タヒチに戻っては来たものの、相変わらずの貧困と病苦に加え、妻との文通も途絶えたゴーギャンは希望を失い、死を決意した。こうして1897年、貧困と絶望のなかで、遺書代わりに畢生の大作『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』を仕上げた。しかし自殺は未遂に終わる。最晩年の1901年にはさらに辺鄙なマルキーズ諸島に渡り、地域の政治論争に関わったりもしていたが、1903年に死去した。ポール・セザンヌに「支那の切り絵」と批評されるなど、当時の画家たちからの受けは悪かったが、死後、西洋と

既に生ひ立ちや幼少時の激しい動きが象徴してゐるやうに、生まれながらのエグザイルであり、逃避者であり、故郷喪失者であったのだ。絶望したはずのタヒチに戻らざるを得なかったその行き詰まるやうな精神的状態は、察するに余りある。南洋の楽園に於ける貧…

西洋文明に絶望したゴーギャンが楽園を求め、南太平洋(ポリネシア)にあるフランス領の島・タヒチに渡ったのは1891年4月のことであった。しかし、タヒチさえも彼が夢に見ていた楽園ではすでになかった。タヒチで貧困や病気に悩まされたゴーギャンは帰国を決意し、1893年フランスに戻る。叔父の遺産を受け継いだゴーギャンは、パリにアトリエを構えるが、絵は売れなかった。(この時期にはマラルメのもとに出入りしたこともある。) 一度捨てた妻子にふたたび受け入れられるはずもなく、同棲していた女性にも逃げられ、パリに居場所を失っ

此処で唐突に、「西洋文明に絶望」したとあるが、彼にとっての西洋文明とはどんなものだったのだらう? 植民地としてのタヒチの様子は、恐らくかなり其の原始的で素朴な生活様式が強調されて本国に伝へられてゐただらうし、何よりも剥き出しになった放射性物…

1886年以来、ブルターニュ地方のポン=タヴェンを拠点として制作した。この頃ポン=タヴェンで制作していたベルナール、ドニ、ラヴァルらの画家のグループをポン=タヴェン派というが、ゴーギャンはその中心人物と見なされている。ポン=タヴェン派の特徴的な様式はクロワソニズム(フランス語で「区切る」という意味)と呼ばれ、単純な輪郭線で区切られた色面によって画面を構成するのが特色である。1888年には南仏アルルでゴッホと共同生活を試みる。が、2人の強烈な個性は衝突を繰り返し、ゴッホの「耳切り事件」をもって共同生活は完

此の頃の画家達の紐帯はどの程度形成されてゐたのか、我輩は知らん。ポン=タヴェンでのたった数年間に、画家達の独自の情報網から、アルルに滞在中のゴッホのことを知ったのだらう。

フランスに帰国後、ゴーギャンはオルレアンの神学学校に通った後、1865年、17歳の時には航海士となり、南米やインドを訪れている。1868年から1871年までは海軍に在籍し、普仏戦争にも参加した。その後ゴーギャンは株式仲買人(証券会社の社員)となり、デンマーク出身の女性メットと結婚。ごく普通の勤め人として、趣味で絵を描いていた。印象派展には1880年の第5回展から出品しているものの、この頃のゴーギャンはまだ一介の日曜画家にすぎなかった。勤めを辞め、画業に専心するのは1883年のことである。

元服の頃には既に航海士であったし、海軍に属して戦争にも参加したと思へば、証券会社の社員となり北欧女と結婚。この時点でやうやう、人生の初の心の寄港地を見つけたのだらうか。

1848年、二月革命の年にパリに生まれた。父は共和系のジャーナリストであった。ポールが生まれてまもなく、一家は革命後の新政府による弾圧を恐れて南米ペルーのリマに亡命した。しかし父はポールが1歳になる前に急死。残された妻子はペルーにて数年を過ごした後、1855年、フランスに帰国した。こうした生い立ちは、後のゴーギャンの人生に少なからぬ影響を与えたものと想像される。

ものごころつくもつかぬも、赤ん坊の時からペルーに連れて行かれてゐたわけで、父親の顔も知らぬままにフランスへの帰国。安定した精神的基礎の構築される環境にはなかっと言はざるをえない。

流浪の人

常々、ポール・ゴーギャンの作品に得体の知れぬ不気味さや、ただならぬ原始的な蠢きを感じてゐたのだが、今回オルセーで撮影してきた何枚かの画像(油絵よりも木彫が多かった)を眺めるうちに、人間の本能の領域に抵触するさまざまな問題を見出すに至った。 …

まつもむかしの

朝起きてみると、玄関の三和土やお勝手の土間がしっとり湿ってゐる。 外は小雨で、身の回りや庭の全てのものが潤ひを得て、一見すると梅雨のさなかのやうな光景。さすがに朝方でひんやりと冷たい湿り気だが、風がないので恐れるほどに非ず。 (-_-) さて、昨…

石を積んだのは誰?

いやはや、昨夜の上原彩子の紹介番組、凄かった。 プロコフィエフ作品の録音風景。「ロメオとジュリエット」からの有名な数曲や*1、ピアノ・ソナタ第7番変ロ長調「戦争ソナタ」の攻撃的な一節など、其の余りに神懸かり的な演奏風景から、普段は相当気難しく…

能 - Wikipedia

古典派

昨天、今天と古典芸能をじっくり鑑賞。 といっても電視機上でのことだが、先づは歌舞伎“身替座禅”。狂言由来の所謂「松葉目もの」だが、六代目菊五郎(山蔭右京)と七代目三津五郎(奥方玉の井)の組み合わせで、明治43年 (1910)3月に二長町・市村座におい…

検出

再挑戦第二部は、円形遺構周辺の再検出から。 重機による表土剥ぎからたった一夜にして早くも、終日終夜吹き続ける木枯らしによって地表は乾ききって仕舞ひ小道具も刺さらぬほど。しかし先週の雨の名残である水溜まりにはしっかりと氷が張って、其の周辺には…

寒中的再挑戦

縁あって、此の寒空の下、謎の遺構群に再度挑戦。 眼下指呼の距離に旧石器時代末から縄文時代草創期にかけての大遺跡である宮西遺跡を望む段丘上、幾つもの謎の土坑が点在する。其の直径約1.5mから2mで、断面形状はかなり急な角度で立ち上がる擂り鉢状。中心…

破天荒

朝方、妙な音のざわめきに、急ぎ外を眺めると霰。 時に激しく雨戸を真横から叩き、時に目にも見へないやうな早さで吹き飛んでゆく。地上に落ちて暫くは白い粒々で、ところどころダマになって積もるが如き様相にもなるのだが、強風に揺さぶられて白い粒は溶解…

火廼御用心

今天は小雨に乗じて、竈の手入れも兼ねて伐採した月桂樹の小枝を用ゐ、大いに南蛮燻しをおこなってゐたのだが、例によって近所の五月蠅いおばばさまが目敏く其の煙を見つけ、「何事か」と早速尋ね訪ね来たりて、 「この雨降るなか、お前様はいったい何の煙を…

特殊技法

「フーガの技法」*1を語る時、必ず話題に上ることと言へば、Fuga a 3 Soggetti こと「3主題によるフーガ、4声部、4/4拍子、233(239)小節で中断」だらう。 特徴は、そのどれもがこの曲独自の新たなものである3つの主題を持つフーガであり、「フーガの技法…

電脳式会話

昨夜は結局雪にもならず、ただ冷たい雨がいつまでもだらだらだらだらと今朝までも、更には夕方まで小雨霧雨小糠雨、ほぼ終日降ったり止んだり。 ところで我が電脳に Skype なる軟件をインストールしたのが三年ほど前のことだが、普段連絡を取り合ってゐる仲…

経塚 - Wikipedia

畿内を中心とした地域に造営された多くの経塚に、埋納の為の外容器(経筒)を一番多く提供してゐたのが渥美窯であるが、現在判明してゐる最古の紀年銘は高野山奥の院出土のもので、永久二年(1114)である。渥美窯のなかでも藤原顕長銘の特注製品を焼成してゐ…

壇越気分

襖と障子の違ひがわからん大学生が居るそうな。 (ー∧ー)うーむ・・・ そのことはさておき、瓦経の銘文に見られるさまざまな表現や人物名、記事内容をじっくり鑑賞吟味してゐると、かなり生々しい歴史的光景が復元できる。仏教的な法則に沿ひ、銘文中には願主…

西山巡検

今天は伊良湖から西山方面の巡検。 いつのまにか西山の堤防沿ひに出来上がってゐた巨大な風車の、ぶむぶむしゅーしゅーと不気味な回転音を間近に、無限に広がる甘藍畑(現在寒玉と呼ばれるものの出荷最盛期)を横目に、防風防砂林としての役割を担った松林に…

埋み火

「埋み火」(uzumibi) なる行為は我輩にとっては冬の日課だが、其の意味は火鉢の火種を絶やさぬやうに灰に埋めておくことだ。 或る友人が書斎に火鉢を導入したいてうことで、本体の手焙りは既にネットオークションで入手し、灰や炭もホームセンターで買ってき…

白山覚書き

本朝七高山と言へば、伊吹山、比叡山、比良山、愛宕山、神峯山、金峰山、葛木山だが、これらは四神相応の都を取り巻く諸山のこと。一方、ほぼ同時期に列島各地に存在する特徴的な山々では、山岳信仰体系が醸成され原始的な修験道が形成を始めてゐた。大峰山…

大山詣で

大山への登山は今回が4回目。 渥美半島最高峰で、標高は328m、其の堂々たる山体は秀麗な村松白山や蔵王衣笠山のやうな甘南備形とはまた違ひ、敢へて例へるなら山襞の無い月山の如き風体。最高峰にもかかはらず、其の山塊山容が低地のどこからも際だって目立…

役行者の妙薬〜陀羅尼助丸

役小角 役小角 - Wikipedia

役行者(覚書き)

「文武天皇三年五月丁丑」 役君小角(えんのきみ しょうかく) 伊豆島ニ流サル。初メ小角葛城山(かつらぎさん)ニ住シ呪術ヲ以テ外ニ称サル。 従五位下韓国連廣足(からくにのむらじ ひろたり)初メ師ト為ス、後其ノ能ヲ害(そこな)ヒ、讒(ざん)スルニ妖惑ヲ以テス…

女王の墓

誇り高い英雄の話をしよう。 クー・フーリンは生涯不敗であった。それは、目前に立ちふさがるありとあらゆる敵を倒してきたということ。それが我が子や、無二の友であったとしても。 強欲なる女王メーヴの仕掛けたコナハトとアルスターの戦争。”大衰弱”と呼…

二分心 - Wikipedia

「二分心」衰退の六段階

1.「特定地域における神託」:もともとは、たんに特定の条件を満たす土地が神託地となった。具体的には、畏怖の念を抱かせる景色があったり、かつてそこで重要な出来事が起きていたり、波、水、風といった幻聴を誘う音があったりしたために、神託請願者が…

含羞の行方

生暖かささへ感じる此の朝の空気。何かまだまだ、天候は妙なまま。昨夜の雨をもたらした灰色雲の残党が空の方々に残り、かといって青空も見へ隠れしてゐて、全体的には晴れて行く気配。 我輩の知らないうちに世間一般は週末になってゐたらしく、お昼過ぎにつ…