タヒチに戻っては来たものの、相変わらずの貧困と病苦に加え、妻との文通も途絶えたゴーギャンは希望を失い、死を決意した。こうして1897年、貧困と絶望のなかで、遺書代わりに畢生の大作『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』を仕上げた。しかし自殺は未遂に終わる。最晩年の1901年にはさらに辺鄙なマルキーズ諸島に渡り、地域の政治論争に関わったりもしていたが、1903年に死去した。ポール・セザンヌに「支那の切り絵」と批評されるなど、当時の画家たちからの受けは悪かったが、死後、西洋と

既に生ひ立ちや幼少時の激しい動きが象徴してゐるやうに、生まれながらのエグザイルであり、逃避者であり、故郷喪失者であったのだ。絶望したはずのタヒチに戻らざるを得なかったその行き詰まるやうな精神的状態は、察するに余りある。南洋の楽園に於ける貧困と精神的危機から生み出された作品にはどれも、死の気配が濃厚に漂ってゐる。自ら" Maison du Jouir "(快楽の家)と名付けた邪教の神殿のやうな家に棲み、まだ見ぬ世界に羨望の眼差しを投げかけつつも絶望的な毎日を送る。絵画に表現された豊満で妖艶な現地女性達の姿の奥には、得体の知れぬ原始的な神像が佇み、画家を永劫の闇の世界に引き込まうとしてゐる。強烈な日光も熱帯雨林の奥深くには届かず、瘴気に満ちた淀んだ空気が世界に充満してゐるかの如く、彼にしてみればただ普通に息することさへも苦しみのうちであったに相違ない。
               

 
             
 
              
こんなゴーギャンに捧げる鎮魂曲としては、此のアルバムを捧げやうではないか。

モリムール?バッハ:作品集

モリムール?バッハ:作品集

大バッハの、無伴奏ヴァイオリン曲のグレゴリオ聖歌的解釈・・・といっても合唱部分はポリフォニックだが、ヴァイオリン・パルティータとコラールの幻想的な出会ひ。此の世の全ての流浪の民に捧げてもよいアルバム。静謐裏に、時空を清浄な方向に引き延ばす効能が有る。
今宵半月、下弦の月にて、春節更に近し。