西洋文明に絶望したゴーギャンが楽園を求め、南太平洋(ポリネシア)にあるフランス領の島・タヒチに渡ったのは1891年4月のことであった。しかし、タヒチさえも彼が夢に見ていた楽園ではすでになかった。タヒチで貧困や病気に悩まされたゴーギャンは帰国を決意し、1893年フランスに戻る。叔父の遺産を受け継いだゴーギャンは、パリにアトリエを構えるが、絵は売れなかった。(この時期にはマラルメのもとに出入りしたこともある。) 一度捨てた妻子にふたたび受け入れられるはずもなく、同棲していた女性にも逃げられ、パリに居場所を失っ

此処で唐突に、「西洋文明に絶望」したとあるが、彼にとっての西洋文明とはどんなものだったのだらう? 植民地としてのタヒチの様子は、恐らくかなり其の原始的で素朴な生活様式が強調されて本国に伝へられてゐただらうし、何よりも剥き出しになった放射性物質のやうなゴッホとの接触が、この逃避行の原動力となったことは間違ひ無いだらう。