壇越気分

海上遙か、神風の伊勢の国を望む

襖と障子の違ひがわからん大学生が居るそうな。
(ー∧ー)うーむ・・・
           
そのことはさておき、瓦経の銘文に見られるさまざまな表現や人物名、記事内容をじっくり鑑賞吟味してゐると、かなり生々しい歴史的光景が復元できる。仏教的な法則に沿ひ、銘文中には願主、勧進、壇越、檀那、結縁者の名前が先づ記され、殆どに共通の願意として「現世安穏後世善處也」「右志者為現世後世安穏太平也」なる一文が書かれてある。
勿論、このやうな願文が書かれる背景には末法思想の蔓延があるのだが、当時の計算上の末法開始年が永承七年(1052)にあたることから、此の前後を中心にした経塚造営が各地で盛んに行はれたのだ。宇治に平等院が建立されたのが天嘉元年(1052)のことだから、貴族階級が如何にこの末法の世を恐れてゐたのかよくわかる。
最も早い時期の経塚は藤原道長が奈良金峰山に埋納したものとされ、寛弘四年(1007)の紀年を持つ。伊勢地方では保元元年(1156)から文治二年(1186)紀年銘を持つ経塚(経筒)が多く、この三十年間の期間中承安年間に特に多くが埋納されてゐることをみると、荒木田氏や度会氏を中心にした伊勢神宮の神官たちの間にも末法思想が深く浸透してゐた状況が看取できる。