古典派

コナラの未生は紅葉すれども落葉せず

昨天、今天と古典芸能をじっくり鑑賞。
といっても電視機上でのことだが、先づは歌舞伎“身替座禅”。狂言由来の所謂「松葉目もの」だが、六代目菊五郎(山蔭右京)と七代目三津五郎(奥方玉の井)の組み合わせで、明治43年 (1910)3月に二長町・市村座において初演されたものだてう。後半は裏側の幕が開きずらりと長唄社中が出現し、一気に歌舞伎らしい華やかな舞台となる。今回は市川團十郎市川左團次市川染五郎てう市川トリニティの御出演。
         
あらすじ:
京の郊外に住む山蔭右京は、以前、東下りの途中、美濃国の野上の宿で酌をとらせた美しくて優しい花子のことが忘れられない。花子も右京を追って京へ上り、北白川に宿をとって是非会ひたいと文をよこす。しかし右京には嫉妬深い妻の玉の井がゐて、右京を片時も離さない。思案の末、夢見が悪いので仏詣でをすると申し出るが玉の井は許さず、家の中で行をせよてうことになった。しかし、それでは意味がないと持仏堂での七日七夜の行を申し出ると、やっと一晩だけの座禅が許される。
右京は太郎冠者を呼び出し、玉の井を恐れて断るのを無理やり押し付けて身替りの座禅をさせることにし、座禅衾をかぶせ、決して取るな。物も言ふなと言ひつけて花子の元に出かけていく。太郎冠者が座禅をしてゐると恐れていた通り、玉の井が見舞ひに来る。お茶や菓子は何とか拒み通すが、せめてお顔をと衾を剥ぎ取られ、事の真実を白状させられる。玉の井は夫の裏切りをやり込めてやらうと身替りの身替りで太郎冠者に成りすまし、衾をかぶって夫の帰りを待ち受ける。
花子の歓待を受け、逢瀬を楽しんできた右京は花子の小袖を着込み、夢うつつの千鳥足でしどけない姿で戻ってくる。花子との楽しい時を思ひ出しては自然と顔がほころび、逢瀬の一尾始終を衾の中の太郎冠者に話して聞かせる右京。その上玉の井の事を「鼻は低うてキョロキョロ目、色は真っ黒黒々と、深山の奥のこけ猿」とこき下ろしたから始末が悪い。玉の井の怒りは頂点に達し、衾を払ってすっくと立ち上がると形相凄まじく畳を蹴立てて右京を追ひ回す・・・やるまいぞやるまいぞ。。。開玩笑
         
荒事の團十郎らしからぬ、所謂バカ殿様仕立ての團十郎が意外にイケてることに驚いたが、恐ろしい山の神役の左團次の、悪霊の如くドスがきいた大仰な演技がなんともアクどく、大変宜しい。此の二人に夾まれちゃー、染五郎はまだまだ、存在感無いな。
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次は能、今春流*1芭蕉(蕉鹿)」。芭蕉の精と山居の僧に里人との会話が絡む幻想劇。シテの高橋汎やワキの工藤和哉も素晴らしかったが、やはりアイの野村万作の荘厳な演技が圧巻だ。地謡の謡ひはじめが多少ぐらついたが、後半は8人の息が見事に揃った。今春流は我輩にとってはあまり馴染みのない流派だったが、独特の雰囲気が醸成されてゐて興味深かった。

*1:「こんぱるりゅう」と読むが、名古屋の喫茶店コンパルとは全く関係ない。