諸世紀のことなど

水色の遠近法

爽やかな青空が広がり、何本もの白い飛行機雲が空を縦横に分割してゐる。我が陋屋の中庭にも、雑草としての秋草がしきりに立って、風情豊かに風に棚引ゐてゐる。
(-_-)
              
今回の井戸尻に於ける濃厚な人物配置や、今までに解明された文化内容の豊富さ、緻密な検証、そして改めて提唱されやうとしてゐる文化概念の重要さを反芻するだに、自分の運命たる「否応なしに転機に遭遇し、常に境界域に立つ」性を再認識させられるのであった。
(ちなみに井戸尻遺跡自体、信濃境駅にほど近い、諏訪郡富士見町「境」に存在する。境界域が中心部ともなり得ることを示す好例だ。)
有機物に満ちた世界の仕組み、しかも古代の世界について考へる時、直接本質と触れて仕舞ふと其の周辺の足下が寧ろ見ゑなくなって仕舞ふため、敢へて幾何学や物理学などの異分野方面へ逃避行動を取る。太陽を直視して仕舞った時の幻惑のことを思ひ起こせばよい。また、満月を眺める時に敢へて月の輪郭より外側を眺める方が、月面の文様をよく認識することが出来るやうに。
などともっともらしいことを言ってゐるやうだが、実はこれもまた我輩の逃避行動の一つに過ぎないのだらうな。
(-。-;)
             
何も神聖幾何学である必要は無いが、素数だの円に纏はる諸公式だの、もし可能であれば微積分や因数分解の公式を知っていることが好ましい。幾何学は言語を超へる摂理であって、ものごとの本質を後代に伝へる最も身近で普遍的な「言語」だ。
たとへ言霊に封じ込められた本質は不変的であっても、言の葉の表層のうたかたは常に移ろひ、歳月は本意を待たず、変容して仕舞ふ。しかし幾何学の摂理であれば、此の宇宙が一転して収縮に向かふまでは、普遍的なメッセージを残せる可能性がある。
勿論、これら本質を理解する側の人間の知能が退化して仕舞ったのでは、もはやだうしやうもないが・・・
(-_-;)
                  
             
                 
 一見複雑な構造をみせる有機生命体も
             
              

実は単純な二重構造のメビウス的な歯車の回転で自律的な運動をしてゐるのだ
                   
        

こちらはリーマン幾何学的な言はば平凡なメビウスの帯
(経営破綻した証券大手とは関係ない)
               
                 
 好きなところに座標を描くことが出来るのが多様体=manifold
              
         

同相写像 φ とその逆写像 φ-1 で対応付けられた(座標の無い)集合 U と(座標のある)集合 U′
             
                 

U∩Vは、 φ(U∩V) と ψ(U∩V) の 2 通りの局所座標で表されているが局所座標同士は座標変換で写り合う
しかし問題は、位相多様体=topological manifold とフラクタルとの整合性だ。一般に幾何学定義では「多様体は性質のよい図形であり、多様体でない図形も多く存在する。円や球や多角形、多面体などは全て多様体として扱えるが、ペアノ曲線やフラクタルなどは適当な地図を描くことはできず、多様体にはならない。」とされており、今後の最大の課題でもある。
                       

          

根本的な問題はさておき、例へばフラクタルの宇宙にもこのやうに暗黒物質は満ち満ちてゐるのだけど
                 
           

そんな虚空に人間の意識を照射することによってダークマターは虹色の光を帯びはじめ
             
            

やがて細部に至るまで光子が浸透していく [光子=意識=覚醒=頓悟]
以後は変性意識の問題とも絡んでくるのだが・・・
                         
                 

そして飽和から臨界へ