呼称小考

組み合はせの妙

早朝、肌寒さで目覚む。
夜明けて未だ半時余り、矢張り鳥の姿は見ゑず、朝露に濡れた龍の鬚のベッドには野良猫の糞。朝顔もまだまだ健在で、大輪の花こそ無くなって仕舞ったが、種の出来た横に小さめの花が次々と咲いて、初秋の朝を彩る。
ポーチュラカはまだまだ無数の花を咲かせてゐるし、ゴーヤーもますます元気に蔓を伸ばしてゐる。しかし、既に柿の実は色付きはじめてゐるし、草木のいたるところには女郎蜘蛛の営巣がみられる。名月の登場を待たず、秋の色は確実に、夏色の中に波紋を広げつつあるのだ。
(-_-)
                   
さて、別に脳裏から炉穴の物件が消滅したワケでは決して無いが、青津前田遺跡出土の前期土器(鉾ノ木式や北白川下層式土器)の羽状縄文やC字文やしゅろ状文が視野を掠め、吉胡貝塚の平面展示施設で清掃した貝層表面に散らばってゐた後期末の土器群の考察や擁壁工事の時に出土した土器群の処理方法のことや、勿論雁合遺跡で出土した早期前半の土器片のことだの、抱へてゐる諸問題間を観念がぐるぐる巡り、時々時間軸がぶれて交錯するのが難点ではある。
(-。-;)
                       
今更乍ら、縄文時代だの弥生時代だの、これら時代区分呼称の滑稽さをしみじみと思ふ。
早期前葉の押型文土器も「縄文土器」なのだらうし、早期末の条痕文土器も「縄文土器」だが、それらに文様としての縄文は無い。それではいっそのこと、縄文時代の呼称をやめて、旧石器時代に対応する新石器時代と呼ぶ方法もあるが、遺存する文物の殆どが石器であった前者に比して、後者を構成する文物は余りにも豊富だ。
例へば、数千年後に此の現代がどのやうな括りで呼ばれるのかはわからんが、其の時代を象徴するやうな記念物や文物名を用ひ一括りにすること自体はやぶさかではない。それだけに余計、「縄文」と「弥生」は不利な名称だ。
しかしまた、呼称とは不思議なもので、そのものに名前が与へられた瞬間からそのものが存在し始め、自律的な存在感を発揮しはじめる。そして、与へられた名前が寧ろ、そのもののイメージを創出して行くのだ。ことだまの本懐はそのあたりに有るのだらうが、困ったことに便宜的に与へられた名前までもが生命を持ちうるので、後世の人間様はそれらを虚しく追認するか、拒絶しつつも新たな仮称を模索する他は無いのである。
(-_-)                  
                  
                      

縄文土器」で育てた稲!?
               
               

                

音楽と文学の間―ドッペルゲンガーの鏡像

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↑これらは中島氏の注目株。アファナシエフとは何者か?