金枝篇 - Wikipedia

                      
次なる現場を目指し、豊川左岸を遡る。
快晴の青空に、まだ夏の名残りの白い積雲がいくつも浮遊し、雄々しき本宮山の姿が青々黒々として美しい。此のあたりの稲はまだ、矢張り青々として凱風の吹き渡る足取りがよくわかる。
東名を潜り、新城市に入境。今水寺への小さな看板が出てゐるが、今回はお預けだ。豊川を渡り、右岸を行けば、其処はいつしか設楽ヶ原の古戦場だ。是より先は奥三河の山懐なのだが、そんな山裾を貫通して第二東名は建設されやうとしてゐるのだ。発掘現場は設楽原近く、式内社である石座神社の裏山一帯。
愛知埋文との一体工作現場が三カ所も同時稼働中で、いつもは尾張平野で御尊顔拝し奉りたりけるプロパーの皆さんと、山中で再会するもまたをかし。いずれの方々もご丁寧に対応いただき、感謝する次第にて候。
m(_ _)m
                   
縄文後晩期の新知見もさることながら、気になる陶片の表採や中世の造成も含め、気になる予兆がいくつもありました。
ところで山中は午後4時に現場終了なのですね。此の先は釣瓶落としの日ぐれにて、山中は更に日の翳りも早きことと存じます故、恙無く調査を進められますやうに。
夕刻を待って帰路に就き、世界最大のじゃんじゃんジャスコで「中暴れ」(お買ひ物)して帰るもまたをかし。
(-_-)