Hola!

朝露があたると色褪せる?

昨夜は多少の涼しさが夜の闇に漂ってゐたものの、日が明けてみれば忽ち蒸し暑さが増し、冷たい飲み物の1杯でも直ぐに飲み干して仕舞ふほど。
せめて湿度だけでも下がってくれないかしらむと、この頃しきりに勝手なことを思ふ。
(-_-)
           
さて、今朝は早くから玄関で我輩を呼ぶ者有り。
出てみると、先日とは違った屑鉄回収で、今度は湖西市から来たてうペルー人二人組。化石となってゐたライフやバイクは前回出して仕舞ったため、今回は長年眠ってゐた簡易印刷機を見せてみた。すると、「ダイジャウブ」とのことなので、早速積み込んで貰った。
コレでやうやう、懸案であったデッドスペースを活用することが出来さうだが、今度のお兄さん(おじさん?)たちは我が中庭を隈無く点検し、現役で使用中の各種農機具(見た目はほどよく錆びてゐる)だのバールだの何だの、鉄らしきものは全て指差して「ダイジャウブ?」と聞いてくる。勿論我輩は即座に「ダメ」だの「ダイジャウブデハナイ」などと答へるのだが、すると直ちに諦めてくれて物分かりは非常によい。
親分格にイロイロ尋ねてみると、ペルーでは建設の技術者だったが17年前に来日してからは専ら此の屑鉄回収業とのこと。見たところ相棒の方が年上のやうだが、嫁さんの妹の旦那てうことで、親戚で出稼ぎに来てゐるワケださうな。冷蔵庫で冷やしてあったツーモ・デ・ナランハ(オレンジジュース)をおごってやり、しばし世間話。
それにしても此の業界、やはりホントに日系人に頼る部分大きいワケだ。しかし、まんだ鉄需要は満ち足りてゐないのだらうかしらむ・・・
(-_-)

                
考察「煙道付炉穴について」(財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所平成17年度現地説明会資料からの引用)

                  
3,中通遺跡における定住の可能性
中通遺跡では、炉穴は激しい重複関係にあり、煙道付炉穴をほりあげると、その下からさらに古い煙道付炉穴が顔を出す例もありました。ほぼ同じ場所に、何度も煙道付炉穴が作られたという事実は、同一人物による作業、もしくは同一集団の作業が、中通遺跡で一定期間行われていたことを示しています。ある程度の期間、縄文人がここで生活していたことは事実です。また、三重県大鼻遺跡、鴻ノ木遺跡では、住居とともに煙道付炉穴が発見されています。よって中通遺跡の縄文人達も、この近くに住居(居住スペース)を持ち、定住していたと思われます。定住は、人間が自然に左右される生活から脱却し、それを利用する方法を獲得したことを示しており、食糧確保の手段において革命的な出来事があったことが推測されます。(ここでは、季節的な定住と通年の定住の区別は特にしません)
                

                   
【読解】
炉穴遺構の重層は、其処でなければならなかった何らかの理由が存在するからで、其の一点を採って必ずしも定住と結びつける必要は無いだらう。遊動生活と定住生活の相違は、現在のところ遺構の種類と有無や遺物の構成から類推されてゐるに過ぎない。早期の前半は一般に、屋内に炉の痕跡が希薄な時期であるとされる。屋外に集中する炉穴や集石炉の存在を、季節的な現象として捉へるか生業的な文脈で捉へるべきかは難しい問題だが、蝟集する炉穴数の多さが直ちに定住を保証するものではないことだけは確かだらう。
それでは、仮に炉穴を、特定の食品の調理加工をおこなった遺構と考へた場合、中通遺跡で検出されたやうに最終的に180基もの炉穴が蝟集する状況に対してはどのやうな解釈が可能であらう。集団的な食品加工工場だとすれば、それはいったい何をどのやうに調理してゐたのだらう。現在主に考へられてゐる煙道付炉穴の用途としては、燻製施設説や土器焼成施設説、そして一般的な調理施設(即ち竈)説がある。
このうち一般的な調理加工説は、竈としての利用法を考慮すれば尖底土器とセットで利用されたことを考慮せねばならない。具体的な煙道付炉穴の使用方法に関しては現在再現実験を交へて検討中であるが、煙道部への土器の設置自体に物理的な問題は無ささうである(東海型の場合)。また、焚き口開口部周辺に掻き出された熾火を利用し、三石を用ひた簡易な炉の設置も十分可能であらうし、数個体に限れば同時に土器焼成も可能であらう。しかし、焚き口側の場合は床面が奥に向かって下り傾斜を見せる場合が殆どであることなどから、あくまでも副次的な利用方法であったと考へるべきかもしれない。
また、燻製施設説の場合、炉内の床面に熾火の堆積が出来、火床が安定した状態を保つことが出来たなら、煙道部から程良い量の煙を発生させることは容易であり、煙道地上部を覆ふ簡易な設備の利用を前提に、熱燻も可能であったと考へられる。
いずれにせよ、いったいどれほどの時間を特定の土地で居住すれば「定住」と呼べるのかてう根本的な問題がクリアされていないのだが、季節的な移動は恒常的に行はれてゐたであらうから、遊動性の多少には含めずに考慮すべきだらう。恐らく、蝟集する炉穴群の在り方は、同一集団が季節的または狩猟の獲物の多寡に応じて繰り返し其の場所を利用し続けた結果生じたもので、数世代以内に形成されたものではないだらうか。よって「定住」の定義も、我輩の場合は土器型式の変化が顕現する時間幅よりもうんと短く(早期前半の場合)、其の地を取り巻く自然環境の恩恵を集団的叡智を用ひて抽出することが出来、尚且つ、さまざまな経験から周辺の自然に対する最低限の能動的な働きかけが可能になるであらう時間幅、即ち数世代から5世代前後の時間をイメージして語ってゐる。
なお、上記の考察で言及されてゐる事項で、「食糧確保の手段において革命的な出来事」を示唆するやうな遺物的特徴は現在のところ見出されてゐないので、此のやうな観点で狩猟・採集の主要な道具である石器群の在り方を再検討してみる必要を感じてゐる。
(-。-;)
                     
                        

炉穴の天井を支へる石組み