南瓜の花咲き、大蜘蛛の跋扈したりける頃

雄々しき南瓜の葉

今朝は鳥もさほど騒がず、静かな夜明け。
庭一面に伸び邦題に伸びた南瓜の蔓の方々に、大きな黄色い花が仰山咲いてゐる。雌花は数が少なく、早々と結実した細長い南瓜は端の方が腐って仕舞って、なかなか無傷な実は見当たらない。此の瓢箪のやうな、奇妙な細長い南瓜のお味は如何に?
(-_-)

                     


                  
考察「煙道付炉穴について」(財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所平成17年度現地説明会資料からの引用)
                       
4,中通遺跡の煙道付炉穴存続時間
中通遺跡では炉穴の形態に違いがあり(東海型・九州型の存在)、これが、存続期間を表す可能性があります。中通遺跡では、開口部の開いた形の東海型が中心ですが、切りあい関係より、それらより古い煙道付炉穴の中には九州型も確認されています。また、中通遺跡の出土土器の中心は、縄文時代早期前半と考えられるものですが、縄文時代草創期末葉〜縄文時代早期初頭に始まり、縄文時代早期前半まで続いた遺跡であると考えています。
※東海地区においては、草創期末葉頃には多縄文土器の流れを汲む表裏縄文土器というものが存在します。中通遺跡で、最も古いと考えられている縄文土器は、その製作方法において、表裏縄文土器と似ています。土器の内側に模様が入る点も同じです。しかし、「純粋に草創期」と考えられている表裏縄文土器は、土器内面全体に施文されています。中通遺跡出土土器は口縁一帯だけの施文ですが、これは時間差と思われます。中通遺跡最古の土器は、少なくとも「純粋に草創期」と考えられる土器に後続しており、「確実に草創期」と断定できる状況ではありません。現段階では、「草創期末葉〜早期初頭」頃と考えています。一方、静岡県東部では、この土器と同じように口縁内面に一帯の施文する土器が早期前半まで存続します(土器の製作方法は違いますが)。そのような状況から出土土器に時間差はないという考え方もあります。中通遺跡最古の土器は、関東の撚糸文土器や、関西の押型文土器との併行関係も含め、今後の検討が必要です。
                 

                    
【読解】
一口に炉穴と言っても、九州型と東海型、または関東型の形態の違ひは、何に由来するものだらう。
大小二つの穴をトンネルで結ぶてう基本的構造は同じでも、穿たれた穴の大きさや形は随分違ふし、トンネル部分の形状や床面の傾斜も違ふ。東海型の場合、尖底土器(押型文や撚糸文)とセットで考へてみても、竈としてもさほど難無く機能することが想像できるのだが、九州型の場合は煙道部が比較的大きく、単に土器を設置するだけであれば返って使ひ勝手が悪いやうな印象を受ける。南九州ではこれらの炉穴を燻製施設と想定し、積極的に再現実験なども行ってゐるやうである。
中通遺跡に於いて、先づ九州型の炉穴が伝来し、其ノ後直ちに改良が加へられ東海型が定着して行ったのだらう。其の形態の変化は、加熱を必要とする対象物(食物)そのものの相違を反映したものであらうし、南九州が先行し時間差的分布を呈することから、技術的改良が加へられた結果であるとも言へやう。
とまれ、静岡県西部に位置する中通遺跡に於いて、少数とは言へ、九州型の炉穴が存在することは極めて興味深い事実である。縄文時代草創期の後半に南九州地域で発生した炉穴の技術は、早期の約4千年間のうち、三千年近い時間をかけて太平洋岸を中心に、関東地方まで伝はって行った。
確かに、出土土器は重要な時間情報でもあり、詳細に検討すべき文物でもある。しかし、其の所属時期が「確実に草創期」であらうと早期初頭であらうと、便宜的且つ抽象的な時期区分の境界線上を示す座標に意味があるのではなく、今から1万年近く前にこのやうな炉穴が発生し、静岡県西部地方にまで伝播し、其処では実際に炉穴で土器が使はれてゐた、てう事実が重要なことなのだ。
(-_-)
                   
                          

炉穴天井部の断ち割り断面。被熱の硬化面が層状に残り、よくわかる。
              
                

                            
今天は岬の先っぽを利用して、トライアスロン大会が開催されてゐた様子。
我輩は臨時で夜間工作から昼間工作に借り出され、朝から一人事務室でぽつねんと世界のあれこれについて思ひ巡らせる。一方大ホールでは、中学校主催の吹奏楽コンサートで、其のゲストが市内の小学校のブラスバンドときたもんだ。
工作所周辺はコビトと呼ぶには大きくなりすぎた子供様や学生様が仰山往来し、大変な賑やかさ。密かに事務室のモニターでステージの様子など眺めてゐると、驚くべき事に小学生達が「大序曲1812年(抜粋)」などと言ふ壮大無比な曲を演奏してゐるではないか。察するに、吹奏楽部出身の担任か顧問に因る唯我独尊的選曲と見たが、高学年とは言へなかなか堂々たる帝政おろしあ国家のオブリガードであった。
(-_-)天晴れ!
                       
                      

大蜘蛛の跋扈する頃となりにけるかも・・・・
                  
                        

そしてこちらが南瓜の花