塵埃記(水玉編)

素朴で端正なるモダン

やうやうの雨、気紛れに来て、時に激しく大地を潤し、枯れかかった樹木に生気を蘇らす。人間様も既に当の昔に干涸らびてしまって、今更の雨とはわかってゐても猶、嬉しき哉。
遠雷がいつしか雷雨となって、慈雨の如く、法雨の如く降り注ぐ。でもしかし、人体の七割以上は母なる海の成分だといって、直接海水が降り注ひでもらっては困るワケだが、真水の雨の有難味を今年ほど実感させられる年も少ないだらう・・・か? この先何年生きるかは人それぞれだが、100年に一度の異常気象が、気が付けば毎年発生してゐたり、気象の振幅が増大して中庸が消失し、地表に巣喰ふ人類を一掃するが如き環境が常態となりつつあるやうだ。
勿論、大自然は人間様の存否などに関心は無いワケで、嘗て数十万、数百万、無量寿種の生物が興亡を繰り返してきた時間の定めの無眼分の一に過ぎないワケだ。地球が温暖化しやうがオゾンホールが拡大しやうが、其の因果の連鎖に確実に人間様が関与していやうがなからうが、銀河は古き洋館の扉の如き軋み音を立てて回転してゐるのだし、曼荼羅は描かれ続けられるのだらうし、時空輪は廻り続けるのだ。
(−_−)
                
暑さに一区切りがつき、脳細胞の死滅も一時的に停止したやうで、本来せねばならんことをすることにしたのだが、冷静に身辺周囲を眺めてみると、意外にもとっくにしておかねばならんことのいくつかがまったくなされていないことが発覚し、さりとて慌てふためくワケでもないが、やうやう重い腰上げる。
旅の何がイヤと言って、其の出立前日ほどイヤなものは無いワケで、こればかりは何度経験しても同じどころか、歳取る毎にひどくなってゐるのではないかと思はれる。あの手続きしただらうか、あの人に郵便出しただらうか、必要な人に連絡しておいただらうか、荷物にあれを入れただらうか、これはさすがに要らんのではないか、あれを買っておけばよかっただの何だのかんだの、いざ荷物を背負ってみると、こんなに重ひ荷物など背負って歩けるワケがないし、そもそも面倒だし、よりによって今回は飛行機だし超長距離だし、最近の悪魔的な符号直列もあるし、連日爆発炎上事故の詳細見せられるし、いくらカイラス巡礼で解脱頓悟したふりしてみたところで生理的な嫌悪感は一掃できず、いっそのこと旅行などヤメてしまったらどれほど楽なことか云々かんぬん・・・
(ー∧ー)
            
一歩踏み出して仕舞へば、それまでのことなど全くなんてことないのだけど、兎に角前日前夜は最悪です。いけません。一人で深夜に悪態突きまくりで御座ゐます。
(–_–;) わたくしとしたことが・・・
             
                       
      

 
                        
大連絡:jazz-ramen さん、メールください! 昨年夏の西藏踏査時、帰路の新彊で住所録紛失してしまったので、香港的朋友諸氏の連絡先など現在不確定なのです。各人の最新情報も把握しておりませんので、とりあえずお店か粉嶺自宅の地址や電話番号など、出来ましたら知らせてください。今のところ帰路の香港立ち寄りは10月下旬を予定中。
→ < LINDENBACH@gmail.com >