水稲と陸稲(おかぼ)

主食は何処へ行った?

この二種は学名、科属は同じだが、形態・生理・生体的な違ひによって分けられてゐる。水稲種は湛水の状態で栽培するのに適し、陸稲種は畑地栽培に適した特性をもったもの。
古くはイネは未分化であり、人間に栽培されて行く過程で分化していったものと思はれる。水陸未分化のイネは、或る場所では焼き畑に陸稲的に植ゑられ、また或るところでは沼や湿地に水稲的に栽培されてゐたと推測できる。現在でもかうした未分化のイネが、印度、泰、中国雲南などの一部では栽培されてゐる。
東南亜細亜大陸部のイネの変遷を見ると、陸稲種は未分化種より発生した可能性が高い。未分化種は、いろいろな環境条件に最も広い適応力を示し、稲作が始まった頃に亜細亜の各地に伝播していったものと推定される。
日本の陸稲の由来について、最近まで大陸から水稲渡来後に入って来たてう説とその逆の考へ方が有ったが、現在では水稲種のなかの比較的要水量の少ないイネが選抜され、それが陸稲として成立したのではないかと推定されてゐる。
焼き畑では元来イネを栽培する慣習は無く、雑穀やイモ類が中心であったと考へられる。また、その後も山間部の焼き畑に新しい作物が取り入れられたてう記録は無い。平地での畑地に関しては不明な部分が多いが、常に少数にとどまってゐたことは確かである。