斟酌、忖度、顧慮、配慮、そしてものごとの本懐

「今、いちばん何が必要ですか?」
「う〜ん、電気も食料も何もありませんからねー・・・」
被災者の困惑した表情が全てを物語ってゐる。
「被害地まで来て、しかも避難所まで来て、そんなことをいちいち聞いてくれるな」とでも言ひたげであった。
避難所で被災者に直接インタビューを行ふ中継が多くなってきた。人々がパニックを起こしてゐる様子こそ無いものの、何もかもが足りてゐないことは誰が見ても明らかなはずだ。
何故、馬鹿の一つ覚えのやうに同じことを聞くのか。「電気が欲しい」「暖かい食べ物が欲しい」と言へば、其の避難所まで誰かが届けてくれるとでも言ふのか。
阪神・淡路大震災と違ひ、今回の被災地は極めて広大で、支援起点となる大都市が存在しない。ありとあらゆるものが不足してゐるに決まってゐるだらう。
 
夕方帰宅してから、NHK-TV を見てゐました。
さすがに、全てを巻き込んで浦々に押し寄せる津波の映像は流されなくなったやうですが、家族を訊ね歩き再会を果たした人の様子や、瓦礫の山の中を彷徨ひ歩き我が子の名前を連呼する様子を撮しだしてみたり、何か変です。
こんなことは1年後か数年後のドキュメンタリーとして放送すればよいことであり、今TVの果たすべき役割は、皆さんが必要な情報を正確に伝達することではないのですか?
根本的に、報道の本懐が果たされてゐないと思ひます。
そんな風潮に激しい違和感を抱きつつ、こんどは民放にチャンネルを変へてみると、こんどは公共広告機構のCMが異常な回数流されてゐる。
人々の啓蒙や、心の奥底に眠ってゐる他人への思ひ遣りや優しさ、博愛の精神の発揚を促進するために、下世話なCMの狭間に一服の清涼剤のやうに此の種のCMを流すことは極めて有効でせうが、いくら緊急事態とは言へ、ACのCMばかりを連続または繰り返し流すことに、どのやうな意味があるのでせうか?
此のやうな頻度で此の種のCMを流し続けるくらいなら、安否確認の個人名を延々と流してゐた方がマシかもしれませんね。
わたくしにはよく理解出来ない状況です。
 
 
 

 
地震が連鎖し、其の影響が東海地方にまで及び始めたやうです。
午後10時30分頃、静岡県東部を震源とする震度6強の地震が発生。
名古屋は震度3くらいと思はれます。先日同様、ぶよぶよの沖積層に乗ってゆーっさゆっさと横に揺られてゐるやうな、船酔い系の揺れでした。
当地方には、静岡県御前崎市中部電力浜岡原子力発電所が存在します。
 
 
それと、近年全局が臆面もなく行ってゐることですが、地震発生直後に現地の役場だの住民に電話を掛けて、其の会話を垂れ流す方法はヤメませんか。
いくら役場の防災課だとは言へ、発生直後に其の町の様子を全て把握してゐるとは思はれませんし、テレビ局からの電話に対応してゐるヒマがあったら、其の地域住民に対する服務が優先されるべきであるとは思はないのですか?