夢のあとさきに関する諸事諸疑問など

夢の共有。夢の世界の共有。
他人の夢の世界に、自分の夢の情景が流入する。
隣り合ふ位置関係。しかし確実に、空間は共有されてゐたやうだ。
ただ、夢見の最中に今回の対象人物の存在を意識した記憶は無い。
これは単に物理的な共振現象なのか、それとも精神の領域のみで行はれてゐるものなのか、いまひとつ判然としない。
情緒や情感、各種感覚との関係は有るのか無いのか?
後付けの物語は慎重に省かれてゐるか?
幻視が先導する形容が優越してゐないか?
そもそもこのやうな現象は、解くべき価値のある謎であるのか?
現実の一部として疑問など抱かず、素直に受容すべきものではないのか?
それが「寛容」てうものではないのか?