観測者

出来れば此の先一生、天体観測でもして過ごしたいなどと切実に思ふ梅雨のまにまに。
  
ところで人間、誰もが他人の良さを発見し乍ら生きていく、ものだらう。
自分のことなどどの瞬間をとってもいちばんわからないものだし、地上で何年も何年も人間を演じてゐればわかるてうものでもない。
他人の個性や長所短所は常に身近な他人によって発見され、自覚を促す助けとなる。
これは、長年其処に住む人が、意外に其の土地の良さを知らないことにしばしば驚くことと似てゐて、其の土地の素晴らしさや特徴は、常にまれびとによって再発見され続けてきたのだ。
時に文化の古層や其のルーツ、秘密までもが・・・
さういふものなのだらうね、此の世界てうのは。
過去にも何度か言はれたことがあるが、特殊工作関係で会った人との雑談するうち、ふと「福祉関係のお仕事されてました?」てう方向に話が流れ、自分に向き不向きな仕事についての話となった。其の人との面会はこれで三度目だが、我輩の性格や工作態度に関してもなかなか鋭い指摘をいくつか頂戴し、改めて他人の目を通じた自分の観測結果を素直に体内に取り込んでみた次第。
まあ、自大狂で偏執狂で誇大妄想と逐電逃避の気質十分な我輩ではあるが、此の場に及んでも猶、まんだ秘められた何らかの才能(のやうなもの)か性格がきっと有るのだらう。
しかしまた、現実逃避も一生貫徹出来れば、それはそれで芸術(または「藝」)だらうし、より充実した人生になるのかもしれないね。
とまれ、そろそろバージョンアップに翻弄される人生も終はりつつあるやうで、これだけはかなり嬉しい。
    
   
   

数日前、庭先に点灯したオニユリは一夜にして咲きにけるらむよ
    

一方ホテイアオイは満開の花房のまま一夜にして項垂れて水中に没し、水面の方々には斯くの如き鶴首が出現する。