ブラームスはお好きですがなにか?

夏のグミグミ喰ひ放題!?

前々回、実は4月にも阿修羅王子様の御尊顔拝しに上京してゐたことを今思ひ出したのだが、同時に出掛けた世田谷美術館に向かふ途上、通り抜けと涼むのが目的で入った購買中心(ショッピングセンター)店内に流れてゐたのは、ブラームスの子守歌。
真っ昼間から不特定多数の人間様が右往左往する空間にララバイとは、一見不釣り合ひな印象を受けるかもしれぬが、これがドトールの表のテラスでのんびり豆乳ラテなど啜り乍ら人々の往来を漫然と眺めて過ごすにはもってこいのBGMで、不思議な安堵感と幽体離脱して我が肉体をも客観視してゐるやうな、どこか超然とした浮遊感覚を覚えたことを思ひ出す。揺籃故の効果であるのかは不明。
其の時は、帰途に就く途上、東京駅丸の内での駅コンのリハーサルでもブラームスが奏でられており、「ふむ、続くな」と思った程度の記憶はある。
  
次に前回5月の江戸参勤時、ふと訪れた秋葉原のTOWER RECORD、クラシックコーナーで店内に流れてゐたブラームスのピアノ協奏曲第1番が可成りインパクト有る演奏で、其の場で直ちに調べてみると、ピアノは舘野泉、オーケストラは渡邊暁雄指揮日本フィルハーモニーで、1980年東京文化会館でのライヴ版であった。勿論、往時は舘野氏も両手を駆使して演奏活動を続けてゐた最盛期であり、重厚な和音や対位法的な超絶技巧も凄い迫力で弾きこなしてゐた。
(基本的にライヴ版は買はないので、店内で最後まで聴いた)
当時、持ち歩いてゐた古代のiPod nano 4Gにも何曲かブラームスが注入されてはゐたが、ピアノ曲アファナシエフの弾くバラードやラベック姉妹によるハンガリー舞曲などで、協奏曲は入ってゐなかった。
  
しかし、少なくとも我輩の場合、ブラームスの偉大な因縁は執拗な「連鎖」若しくは「感染」にあり、一旦点火されるとだうしても持てる全音源を聴きたくなって仕舞ふ中毒症状をも発現させて仕舞ふため、他の作曲家よりうんと厄介なのだ。そんな内的動機とまさに同期するかの如く、自らの肉体を取り巻く環境もが変容を来たし、しきりに我輩の耳にブラームスの音楽を届けやうとして不自然なまでの集中を促す。
かうなると、本来無関係であったのかもしれない様々な音楽環境までもが二重螺旋運動を開始し、我輩が宇宙の中心かはたまた恰も須弥山に登りて長江の水を口中に吸引するが如く、本来なら何処か見知らぬところで人知れず流れてゐたブラームスの音楽をも引き寄せてくる。
其の原因はだうやら1980年代末期の巴里滞在経験に収斂されるやうだが、詳細はだうでも宜しい。兎に角、江戸滞在中はピアノ曲を中心に聴き込んでおき、帰宅するやいなや、実はオーケストラ曲を中心にしたヘヴィーローテーションが開始されてゐたとはお釈迦様でも知らんかったことだらう。
  
さて、一旦始動した此のブラームス循環は加速度的に連続し、6月24日放送のN響アワーはネルソン・ゲルナーソリストに迎へたピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品83であった。
調べてみると此の演奏の収録は2009年5月20日てうことであり、我輩の参勤が5月30日だったので、既に其れ以前から循環は始まってゐたことになる。
まあ別に、ブラームスZyklusが行はれてゐるわけでもないのでさておき、珍しく渋谷のBunkamura界隈を浮遊してゐると、今度は劇場入り口のモニターで映画クララ・シューマン/愛の協奏曲」の予告編が流されてゐた。
   


■STORY■
   
聴衆が詰めかけたコンサートホール。演奏を終え拍手喝采を浴びるロベルト・シューマンクララ・シューマン夫妻は、見知らぬ男に呼び止められた。ヨハネス・ブラームスだった。彼との運命の出逢いを感じたクララは、波止場の薄暗い居酒屋に足を運ぶ。そこでヨハネスの才能を瞬時にして見抜いたクララは、彼の演奏に聴き惚れた。
その頃、ロベルトの持病である頭痛が悪化の一途を辿り始める。作曲さえままならない夫を救わんと、クララは指揮者として楽団員の前に立つ。「女性の指揮など前代未聞」との嘲笑にも耳を貸さずタクトを振り続けるクララは、たちまちオーケストラから見事な演奏を引き出した。
そんなある日、ヨハネスがシューマン邸を訪れる。たちまち夫妻の子供たちの人気者になるヨハネス。こうして、シューマン一家とヨハネスとの奇妙な同居生活は始まった。
クララへの敬愛を隠すことのない陽気なヨハネスは、苦労の絶えない彼女の心を明るく輝かせると同時に、楽団に馴染めないロベルトの最大の芸術上の理解者となる。しかし、頭痛に襲われ深酒に溺れるロベルトは、、ヨハネスを自身の後継者として音楽界に紹介する。そしてクララには、彼らの秘めた思いを見透かすように「私がいなくなってもヨハネスがいる」と告げるのだった。この緊迫に満ちた三角関係に耐えられなくなったヨハネスは、「一日中ずっと、昼も夜もあなたを想います」とクララに誓ってシューマン家を立ち去る。
一方、音楽監督の座を奪われたロベルトは、橋のたもとからライン川に身を投げる。幸いにして一命を取り留めたロベルトは、入院することになる。やがて、独り出産を終えたクララの心の支えとなるべく、ヨハネスが彼女の傍に戻って来た。
クララのもとに、ロベルトの危篤の報が届く。「クララ、決して終わらないよ。私の花嫁」。ロベルトはこう言い残して、最愛の妻の腕の中で静かに息を引き取った。ついにその時がきたと、ヨハネスはクララに求愛するが、ロベルトと生きた日々は、あまりにも大きな喪失となってクララの心を苛んだ。ヨハネスは囁き続ける。「僕はきみとは寝ないよ。それでも、きみをこの腕でずっと抱き続ける。命が尽きるまで。きみが死んだら後を追う。死の世界へお供する」
クララとヨハネスの友情は、クララの生涯の最期まで続いた。そして、それから約1年後、ヨハネスもまた黄泉の国へと旅立っていった。生前の約束通り、最愛の彼女を追いかけるように......。
  

  
さうか、この作品主役はクララだが、確かにブラームスが関係してゐる。かういふ連鎖も有りだな、などと、モニターの前で一人ほくそ笑む偉人の姿は確かに或る種異様であったことだらう。
  
更に地球は回転し、舞台は今回の新宿。
いくつかの待ち合はせのうち最後は新宿駅南西口のTOWER RECORD前だったのだけれど、実は其処に辿り着く直前の神田神保町ディスクユニオンで、またまたブラームスと遭遇してゐたことは、誰も知るまい。奇妙なことではあるが、狭い階段を上り2FのクラシックCDの棚の前に行ってみると、本来棚に並んでゐるべきCDが2枚、実にわざとらしくジャケットが見えるやうに出されて置いてあり、果たしてそれはブラームスの作品であった。
う〜、ここまで露骨に攻めて来るか・・・
1枚は管弦楽曲集で、「ハイドンの主題による変奏曲 変ロ長調 op.56a」「悲劇的序曲 ニ短調 op.81」「大学祝典序曲 ハ短調 op.80」などの有名曲が入ってゐる。2枚目は室内楽曲集で、「弦楽六重奏曲第1番 変ロ長調 op.18」「弦楽六重奏曲第2番 ト長調 op.36」など。
所謂バーゲン品で、誰かが大量のバーゲンボックスから選び出して忘れて行ったのか、それとも我輩の人生に神秘の連鎖をもたらす守護霊の為せる技なのかは判然としないが、此処までお膳立てされてゐたら買う以外の選択肢は無い。ちなみに出来過ぎた話しであるが、其の時iPodで聴いてゐたのはオイゲン・ヨッフムロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮したブラームスの第3交響曲だったのだが、改めて書き起こすとウソくさいな。でも、ホントのことなのだから仕方ない。
とまれ、CD2枚で800円のお買ひ上げと相成りましたワケで御座ゐますが、もし此の2枚のブラームス、我輩が回収しなかったらいったいだうなってゐたのかしらむと今更思ふことしきり。
勿論、アルバイトの店員に発見されたそれら2枚は、なんてことなく直ぐ前の棚の隙間に戻されて片付けられて仕舞ってそれで終はり・・・
ただそれだけのことなのだらう。
ただそれだけのことにしては、連鎖の太さが尋常ではないことが多すぎる今日此の頃、皆様如何お過ごしのことでせうか。
   
   

ブラームス:弦楽六重奏曲集

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ブラームス:ハンガリー舞曲集

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ブラームス : 4手のためのハンガリー舞曲集(全曲)

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  • 出版社/メーカー: ポリドール
  • 発売日: 1997/02/05
  • メディア: CD
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ブラームス:交響曲第1番/大学祝典序曲/悲劇的序曲

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今天黄昏時、雲と光の饗宴を見た。
其ノ後、天が真っ赤なヒモ宇宙となって水平線の果てで燃え上がる光景を見た。