○○日和

見た目は悪いが・・・

今天は朝から、と言っても既に昼近い時間ではあったが、日曜でもないのにパンケーキを焼いてゐた。
日曜日がパンケーキを喰ふ日であるてうことは、メリケン人の友人から聞いた。*1
事実、週末に泊めてもらった時、日曜の朝食は盛大に焼かれたパンケーキだったし、目の前にどかんと置かれた大皿に何枚も、次々と焼かれた少し焦げ気味のパンケーキが積み上げられて行く状況を、多少面妖な表情で眺めてゐた其の家の年寄りのかむばせが所謂「ビミョー」の極みで何とも面白をかしくも哀しくもあり、忘れられない。
此処に言ふパンケーキとは、我々の言ふホットケーキのことと思へば宜しい。
我が御幼少の砌、月に一度、祖父に連れられて出掛ける名古屋の老舗百貨店松坂屋上層階の食堂で、未だ幼き我輩には有無を言はせずお子様ランチ*2があてがはれるのだが、祖父は常にホットケーキを注文し、其の如何にも美味しさうなふかふかした三段重ねの熱々の上に、添へられたバターの塊が乗せられると忽ちにして溶け始め、その上に更にたっぷりと回しかけられるメープルシロップの甘い香りが今でも彷彿と蘇る。勿論、所謂お子様が大きなホットケーキを一人で三枚も食べきれるわけではないが、早めにお子様ランチを喰って仕舞って、おまけのやうに必ず付いてゐた不二家のパラソルチョコレートを頬張ってゐる頃、必ずホットケーキの最後の一枚の切れ端にたっぷりとシロップを染み込ませ、空になった我輩の皿に乗せてくれるのを心待ちにしてゐたことも生々しく思ひ出す。
さて、今天我輩がパンケーキを焼いてゐたのは、なにも此のやうなサンチマンタリズムの再認識を促進する為でも、健康を促進する為でもなく、常備されてゐるはずの5枚切りの食パンを切らして仕舞ってゐたことが発覚したからだ。
こんな時のために、我がパナリ荘の台所にはホットケーキ用の粉が常備されてゐるわけだが、それなりに美味しいホットケーキを食べやうと思へば、粉だけではダメだ。
即ち、粉には砂糖もふくらし粉もその他なにものとも知れぬものがイロイロ入ってゐるのだが(「ホットケーキミックス」てう名前の商品で、200gに小分けにされたものが3袋入ってゐる)、ぎうにうと卵が無ければ始まらないてう仕組みなのだ。
勿論、ぎうにう無くても水で溶いてもよからうが、勿論、卵無くてもよからうが、しかし折角わざわざ、偉人自らが1枚1枚フライパンで焼いて作るパンケーキが粉っぽく水くさく、厚めに焼いても味が薄っぺらぢゃー哀しいぢゃないか君。
てうことで、レシピに指定された通りの分量のぎうにうと卵を投入し、粉を練るワケだが、ぎうにうに限っては豆乳に置き換へが可能であることだけは明言しておかねばなるまい。

さて、画像に見るパンケーキが何故奇妙な色をしてゐるのかてう疑問に対する回答を、先にしておかう。
小分けにされた1袋は200gあって、コレが1回分てうことになる。ボウルに粉を出して卵とぎうにうを投入し、捏ねることなく混ぜる。其処に更に、大麦若葉の粉末を投入することに因って、一見面妖な真っ茶色のタネが出来上がる。
元来此の大麦若葉の粉末は、健康食品としてぎうにうや豆乳などに混ぜて摂取するものらしいが、別にパンケーキに練り込んで仕舞ってもいいぢゃないか。
事実此の緑色がかったパンケーキは予想外に美味しく香ばしく、心配してゐたマーガリン(言ふまでもなく本来はバターを用ひることが望ましいに決まってゐるが、予算の関係や成人病の関係や世界不況の関係でマーガリン)やメープルシロップ(言ふまでもなくこれは理想と希望を込めた虚言であり、現実にはレンゲのハチミツを用ひてゐる)との相性にも何ら問題は無く、200gを3枚に焼き分けてぺろりと喰って仕舞ったとさ。
  
  
  

今天、南洋の瘴気が水蒸気となって岬に無限に押し寄せる・・・
新彊大変、今宵満月。
   

*1:耶蘇の習慣だらうか?

*2:ちゃんと旗が立ってゐた