生焼け

全て被熱せり

石を焼くからには、それなりの理由があるのだらう。
囲炉裏に石を用ひることはあるだらうが、拳大の石(礫)だけを仰山集めて炉を為すことは、普通はみられないことだ。
先づ、どのやうにして石を熱するのか。準備した熾火の中に無闇矢鱈と石を放り込めばよいのか。それとも、石敷きの空間を準備した上で、どんどん火を焚けばよいのか。
地面を浅く掘り窪め、其の範囲だけに石を集めて敷き置き上面で熾火を焚けば、それは即ち石敷きの炉となるのだが、どのやうに使ったのだらうか。
イメージとしては、基本的には石焼き芋の調理方法を思ひ浮かべた上で、芋をシカやイノシシの肉に置き換へて考へるのが良いだらう。此の場合勿論、骨付きの獣肉を丸ごと包み込むやうな、例へば芭蕉の葉のやうな植物が有れば良いのだらうが、落葉広葉樹の小枝を束ねて用ひてもよいだらう。
集石炉は炉穴同様、其の殆どが屋外で営まれてゐるから、家族単位と言ふよりは、集落や共同体共有の施設だったのだらう。炉穴が尖底土器を用ふる竈の機能を兼ね備へた優れた施設であることは、今やほぼ確実なことであるが、集石炉は基本的に土器を必要としない施設だらう。
勿論、炉穴と集石炉は共に調理施設であったらうが、調理方法と調理対象の相違が構造の相違を生み出してゐるのだらう。しかし、全体的な傾向としては、炉穴から集石炉への変化が看取できることはどのやうに解釈すべきか。
雁合遺跡では、集石炉の焚き口を切るやうにして大規模な集石土坑が営まれてゐたし、鴻ノ木遺跡では炉穴の焚き口や煙道部を利用して集石炉が営まれた例が発見されてゐる。
また、眼鏡下池北遺跡でも、炉穴の焚き口周辺の窪みを利用した小規模集石が発見されており、殆どの場合炉穴が先行する傾向にある。
世界の民族事例では、焼け石を積み重ねて調理する earth oven と、木製や革製の器に熱した石を投入して調理を行ふ stone oven の2種類が見られるのが普通だが、既に完成された土器を持ってゐた縄文早期人たちが、改めて土器を必要としない(実際には集石の縁辺で土器による調理が行はれてゐた可能性も高い)集石炉に拘った理由は何か。
炉穴同様、まだまだ集石土坑(集石炉)に関する考察も生煮へ生焼けだ。
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こちらのナンも集石炉で焼いた?