船形山

威風山門

今天は、残務処理の合間を縫って普門寺参詣。
同行者は栗木パクサであるが、先日まで当工作現場で活躍していただいた作業員諸氏が入山しておられることや、ここ数年ISKW氏の先導に因って幾度も平場踏査を重ねてきたことの流れもあって、調査の経過も見学がてらの登山と相成りまして候。
もとより、石巻山を間近に望む現在の工作現場からならば、寧ろ直行式に峰駆け峠越へて行けば、地図上の直線距離はさほど遠からぬ船形山普門寺ではあるものの、其処は自動車乗りの現代人の哀しさを大いに発揮して、瓦町から国道一号線まで出まして大岩町に大回り。
何故か雲谷の手前で曲がって仕舞った為、多少の紆余曲折を経て普門寺門前へ。山門前の駐車場で杖を手にし、リュックサック背負って登山開始。
沢沿ひの登山道は何カ所かが崩落し、シャガの群落が株ごとずれて仕舞ってゐたが、あとは忽ち深山の息吹に包み込まれ、体内から清浄な気が満ちてくるから不思議だ。
ほんの20分ほどで調査現場の元堂跡に到着したが、担当者であるMRKM氏の説明を得、また顔馴染みの皆さんとあれこれ言葉を交はし乍ら、調査の経過を確認する。
昨年度の調査で新たに出現した石垣の行方や未知の基壇、排水溝と言はれてきた石組みの実態、池の護岸の形成過程や第2基壇の実態など、まだまだ解明されてゐない事実は多く、興味は此の山中に尽きず。
余りの長居は調査の邪魔になるばかりとて、調査終盤若しくは現地説明会の時の再訪を希望しつつ、元堂跡を跡にする?
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帰路ついでに、いくつかの平場や崩落した沢筋を見て歩くと、いくつもの陶器片を発見。
山茶碗や渥美焼き大甕の口縁部、古瀬戸瓶子の高台や瓦の数々。そのいくつかの採集地点を記録しつつ、採集し乍らの下山。
それにしてもいつ来ても、此の普門寺山中に展開する平場群規模の壮大なること。中世にはいったいどのやうな情景が展開してゐたのだらうかしらむ・・・
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山茶碗の高台に残る稲作の痕跡