諸学会

講演大盛況!

久しぶりに車で大名古屋方面へ。
此の週末は我が邦の伴天連系大学の代表格であるナムサンデハッキョ(南山大学)を会場にして行はれる日本考古学協会秋の大会へ。
此の日本考古学協会、現在の正式名称は「有限責任中間法人日本考古学協会」と言ふのだが、公式websiteにはこのやうに紹介されてゐる。
       

       
有限責任中間法人日本考古学協会は、自主・民主・平等・互恵・公開の原則にたち、考古学研究者としての社会的責任の遂行と、考古学の発展を目的として、 1948年に結成された全国組織です。春の総会および秋の大会、研究発表会、シンポジウムや講演会の開催、機関誌『日本考古学』の発行、埋蔵文化財の保護、関連学術団体との連携・協力、国際交流などを推進しています。入会申込みは毎年秋に締切られ、業績の審査を経て、春の総会で承認されます。現在会員数は約四千名です。
会員には、『会報』(年3回)、機関誌『日本考古学』(年2回刊)、総会での『研究発表要旨』、『年報』が配布されます。春の総会は首都圏での開催、秋は地方大会が恒例となっています。年会費は10,000円です。なお、2004年3月から、日本考古学協会有限責任中間法人となりました。
        

           

有限責任中間法人」とは何とも煮へ切らない名称でよくわけがわからないが、我輩も何となく所属してそろそろ10年くらいになる。
ところで此の「協会」に関して、以前、或る工作現場で参加者の人とお話をしてゐた時の笑ひ話を一つ思ひ出した。
「来週は考古学協会に参加しますよってに週末不在の予定で御座ゐまして・・・」
「何の協会? 耶蘇教会ですか?」
「いえいえ、学会ですよ学会。」
「あれま、おたくも学会員でしたか!?」
「ええ、学会員と言ふか、正式には協会員ですがね・・・」
「協会員? え?創価ぢゃーなくて?」
「絶句(-_-;)」
          
今回は大名古屋地域で数十年ぶりの開催てうワケで、近年着々と考古学方面が強化されてきた各大学の協力の下での開催。
我輩にとっては、研究会の代表である山下勝年氏による公開講演「先苅貝塚の調査と成果について」を中心に、そのあとの分科会である「縄文時代晩期の貝塚と社会」の聴講が目的であるのだが、同時に開催されてゐる「農耕社会の民族考古学」や「東海地方の窯業生産」の方も興味津々。
それにしても、発見から既に20年以上の歳月が経過した先苅貝塚だが、発見・報告当事者でしか語ることの出来ない生々しいお話を改めて聴くことができたのは、良い刺激となった。大教室もなかなかの大入りで、全国からの研究者も集まっていた様子だから、当地方での開催にあたっては最適な人選とテーマだったのではないだらうか。
山下氏の存在や研究態度は、当地方の所謂在野研究者の典型として顕彰評価されるべきものであると思ふが、とかく対立関係になりがちだった在野研究者と公僕組織内の関係者(研究者?)との関係も、近年変容しつつある。此の点に於いては、南山大学愛知学院大学などの私立大学が積極的に研究の場を設置することによって、先入観や偏見に捕らはれない学生や若手研究者を着実に養成しつつあるてうことが大きく貢献してゐる。其れに比べ、本来核となるべき名古屋大学の影響力低下は残念に思ふが、所詮大学などの研究機関に頼る気のない在野研究者にとってみれば、関係のないことなのかもしれない。
兎に角、自分の関わった遺跡の成果や現状が、このやうな大勢の研究者の前で公表されることは喜ばしいことであるし、馴染みの面々がさまざまな課題を抱へつつも着実に業績を積み重ね、問題点も含めて学会で発表することが出来る幸せを、しばし感じた。
これらの詳細は、大部となった「2008年度愛知大会研究発表資料集」(642頁、4500円!)に凝縮されており、久々に値段相応の価値を持った資料集だな、と感じた次第。
それにしても当地方の内包するテーマの多彩さと言ったら、他地域の追従を許さぬものがあるなあと改めて。縄文遺跡(とりわけ貝塚)でしょ、東西の狭間に展開した弥生の大集落でしょ、そして殷賑を極めた古代〜中世の窯業生産でしょ・・・


夕方まで濃厚な時間を過ごし、今晩はすぐ近くの友人宅で宿泊。
本格的タイ式料理の数々に「アロ〜イ」を連発し、心ゆくまで堪能。何故か今夜は辛さもさほど気にならず、至れり尽くせりの心遣ひに感激しつつ、〆は越南珈琲で!
           
           
                

とりわけ今宵のソムタムは絶品で御座ゐましたクラップ