細分の功罪

まだまだなります苦瓜の実

縄文土器の一片一片を激しく観察し細分してゐて、時々ふと、これはいったい土器の「何」を分けてゐるのだらうかしらむとあやしむることの多くあるめれ。
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さすがに「型式」と「形式」の差は今では混同することも殆ど無いものの、例へば縄文前期の北白川下層1a,bと2a,b,cの差は、概ね時間的な経緯に沿った変化であらうが、或る住居址では1bと2b,cしか出土せず、隣の住居址では加へて羽島下層2式土器が出土したからと言って、必ずしも後者が古かったてう保証は何処にもないワケだ。
東海地方西部の縄文早期を例に挙げれば、都合約四千年間の前半部分、即ち、押型文と撚糸文が主体になる時期は、近畿系の大鼻・大川式、神宮寺式から高山寺式に至る3〜4型式が知られてゐるのだが、茅山下層式以後の早期後半には、八ッ崎式、粕畑式、上ノ山式、入海式、石山式、楠廻間式、天神山式、そして塩屋式までの8型式に細分されており、前半の倍の型式数が設定されてゐる。(実際には各型式が更に複数の段階に細分されてゐるので、総じて見れば驚くべき型式数になる場合もある。)
また、晩期になると、寺津式、本刈谷式、桜井式、西之山式、五貫森式、馬見塚式、樫王式と、都合5百年ほどの時間が7型式ほどに分類されてゐる。中世陶器の場合は、今や編年精度は四半世紀が基準になってゐるやうだし、畢竟人間様の平均寿命範疇には収まっていくのだらうが、或る意味無限を目指してゐることは間違ひなささうだ。
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勿論、各々の型式は前型式の余韻(残滓)と次型式の萌芽を内包する場合が多いが、同一型式内でも組成の偏りは分析され、報告では指摘されてゐるはずだ。このやうな偏りの原因は、単純に時間幅のずれを表してゐる場合もあらうし、居住者の特殊な事情を反映した場合もあらうが、とまれ型式の組成とは所詮、時間の一断面であり、研究者によって衛生的に抽象化された仮想的な纏まりに過ぎないのだ。
それと、各時代を超越した普遍的な特徴てうものが有って、其れは「新しきものは完成形で出現する」てう謂ひに集約される。或る型式(此の場合は「形式」でも宜しい)は概ね突々に、しかも既に何処かで誰かによって完成されたかたちで出現し、徐々に緊張感を亡くして弛緩して行き、そして消滅する。
不可思議なるは、出現のインパクトは他地域(時折海外)からの導入や伝播ばかりではなく、地域内部での自律的な発展における突然変異としての出現もままあることだ。此のやうな特徴は、生物の遺伝子的特徴とも共通し、興味深いものだが言及はほどほどにしておいて・・・
(-_-;)
                 
そもそも「時間」なるものが、随分主観的且つ伸縮自在な次元の一要素であることは多くの人が経験的に知ってゐることだらう。
便宜的に物理的な計測が可能なもののやうに錯覚しているだけのことだらうから、そんな得体の知れないものに目盛りを刻んでみてどんな意味が有るのかは、もはや哲学の領域なのかもしれないが・・・兎に角、土器型式の無限細分がいったい何を目指して行はれてゐるのか、此の工作活動に深く関はれば関はるほど、虚仮の境地が近づいてくる心持ちのせるらむ。
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確かに、緻密に分析され慎重に細分された土器型式の堆積情報は、或る意味放射性炭素などの科学的測定結果を待たずして特定の土器の編年的位置を正確に決定する場合がしばしば有る。此の分野の異常なまでの進展は、日本人の気質に因るところが大きいのかもしれないが、それでは此の研究成果は、いったい何処に収斂されるべきものなのだらうと考へると、少し虚しい。
昔、加曽利E式の口縁部文様帯に見られる渦巻き文様を、それこそ無限に分類して模式図化した研究成果をいくつか見た覚ゑがあるが、例へば、三回巻いた渦巻きが如何なる精神的変容を反映して二回や一回に省略されて行ったのか、渦紋の変容をもたらしたものはいったい何かてうことは、一切述べられてゐなかった。
(-。-;)
                       
勿論、文様に込められた縄文人達の意図や意思、精神や願ひなどは推し量る以外に無いわけで、何も無理を承知の上で考古学者が取り組まなくてもよい問題なのかも知れない。しかし、考古学者とは、例へば一般人の立ち入りの禁じられた遺跡の発掘現場で、文物が現在の時空に顔を出した瞬間や生々しい状況証拠を目撃することが出来るわけだし、普段は目にすることの出来ない時間の断面=地層(遺物包含層)を削ったり、難しい顔をしてしげしげと眺める特権を持った人たちであるわけだし、調査終了後には削平されて消滅して仕舞ふ遺跡のまさに現地に立って、古に其処で展開されてゐた事件や事象や現象に思ひを馳せることを許された特殊な職業の人間なのだ。
更には、遺跡から切り離された文物を研究室内で直に手に取り、それこそ穴の開くまで眺め分析し測量し研究することを許された、特権的な職業の人間なのだ。
であるならば、遺跡から得られた全ての情報は広く世間様に公開されなければならないし、貴重な文物に関する情報は地域ばかりか国民総体の宝として認識された上で、あらゆる方法を駆使して分かり易く伝へられなければならないと思ふ。此の点に関しては、従来平然と行はれてきた「文物の独善的な囲ひ込みに因る権威付け」に激しく異議を唱へる浮神博士と全く意見を同じくするところだが、
しかし悲しいことに、常に天は二物を与へず、考古学者が必ずしもドルイドや風水先生、または幻視者であるかと言へばさうではない場合の方が多いワケなのだが、だからといって考古学者は自分の能力的限界や資質だけに甘んじて、ただただ偏執狂的な研究に甘んじて自己完結してゐればよいかと言へば、さうではない。確かに、博覧強記は多少幻視力を補ふ場合もあるだらうが、せめて専門以外の分野にも触角だけは伸ばし、常に新鮮で正確な情報にだけは接してゐることが望ましい。
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何、いったいお前は何様だって?
(-_-;)
                   
                 
                 
                     

今宵満月、葉月十五夜芋名月
早い話が、月の世界の住人だてうことさ・・・