帰宅切磋炉穴式

幻惑の時空

予定通り、横浜以後もほぼ一睡も出来ぬうちにバスは進み、静岡県に入った頃から雨は本降りとなった様子。
豪雨がピークになったと思はれる前後、恐らく数十分間は高速道路ものろのろ状態となったが、其ノ後は順調に西へ。
結局予定の到着時間より少し早く、午前5時前に豊橋駅前着。雨もまだまだ本降りで、下車した数人のうちバス停までお迎へに来ておられる人を除き駅ビルへ駆け込むも、JRの始発もまだ出ておらず、言ふまでもなくローカル線の駅舎はシャッターが下りたまま。
時折かなり激しい雨が吹き込むため、風雨を避けてプロムナードや地下街入口に向かふと、其処には遊動性生活をなされてゐる方々が既に何人も居られ、なかなか入りづらい雰囲気に。
しかたなく、所在なげに駅ビルの開放部分を行ったり来たりして1時間余りを過ごし、午前6時前、やうやう開いたローカル線改札を潜り抜け、でんしゃの人となる。
始発の乗客は全部で10人ほどで、遊動性の人が数人の他、いかにも夜通し遊んでゐましたてう感じの茶髪の兄ちゃん姉ちゃんたち、そして、朝もはよからお仕事に出掛ける風貌の人などてう構成。
終点までは30分ほどで、そのうちに雨も小降りになってきたが、本日予定されてゐる炉穴焼成実験までに上がるかな?
とまれ、終点に着く頃にはほとんど雨も上がるの気配。ふらふらと不安定な運転でなんとか自宅まで辿り着き、早速一寝入りする準備を・・・する前に電脳を開いて仕舞ったからさあ大変。溜まってゐたメールが忽ち二十数本も出現し、取り敢へず早めの返信を要するものを5本ほど選別し発信を続けるうちにいつしか時間は9時頃に成り果て、慌てて床へ。
(-。-)zzzzzzzzz
           
目覚ましの音で飛び起きたのが正午頃。数時間は眠ってゐたことは確かなやうだが、何となく時間感覚は麻痺したまま。今度は軽バンに長靴放り込んで、一路豊橋方面、炉穴焼成実験の行はれてゐる畑地を目指す。
40分ほどで到着すると、既に有志一同によって工作活動は順調に行はれてゐる様子。聞けば、午前中にはKBT氏作製による尖底土器(高山寺式の押型文と撚糸文)の野焼きが成功しており、ヒビの入った1個をNGSW君が原始的に補修工作中。
              

使用直後の土器焼成遺構と、担当者の原始人たち。
              
                   
主要メンバーはISKW夫妻(実験用地を提供いただく)を中心に、OGR君と愉快な仲間達(先日宮西遺跡の発掘実習が終了したばかりの愛知学院大学大学院考古学教室の皆さんと南方由来の学部生約1名様)と、知多方面から1名。
打製石斧を装着した掘削道具と木を削っただけの掘り棒だけで掘削された炉穴は大小2基あって、いずれもトンネル部分(天井)も崩落せずにうまく仕上げられてゐた。今回の主要な目的は、第一に限られた掘削道具で炉穴自体の掘削が可能か、てう基本的なことからはじまり、実際に薪をくべてどのやうに利用したかてうことを探ること。
初めは焚き口と想定した部分から薪を投入するも、数十分の焚き込みにも拘はらず煙道部から煙は出ず。次に煙道部でも小枝類を燃やしてみるも、相互の対流は生じず。中央の温度計もかなりの時間摂氏百度以下を差したままで、土中の水分がかなり抜けない限り、炉穴内部の炎や煙の引き戻しは起こらないことが判明。
雁合炉穴の場合、煙道部周辺も平面的にかなり被熱の痕跡が見られたことから、煙道部周辺の地上部でも火を焚いてみる。次に、尖底土器を煙道部に設置し(大きめの石3個で固定)、炉穴内の熾火で加熱を試みる。
結局我輩は夕方からの別工作の為、午後3時半には現場を離れざるを得なかったが、翌日ISKW氏からの報告に因れば、煙道部の土器を一旦撤去したところ、炉穴内部の温度は300度余りまで上昇したとのこと。つまり、炉穴の本格的使用の前段階として、内部全体の壁面が乾燥(または赤化)するほどの前段階が必要であることが想像される。
今回の実験はここまでとし、次回は再び今回の炉穴を利用して、更なる高温を目標にして焚き込むの由。目標温度は取り敢へず、500度といったあたりでせうか。
                     
                     
 
(左)不気味な笑みを見せながら土器を補修するNGSW君と(右)炉穴を覗き込む裸族の若者達。
                  
 
(左)炉穴焚き口に出来上がった熾火の火床と(右)煙道部周辺の熾火を利用して設置された三石炉。
                    

                   
皆様本当にお疲れ様で御座ゐました。<(_ _)>