憧憬

或る夏の日の風景

嗚呼、今宵もまた、雨恋し・・・
                
けふこそは、と時折お天気サイトの雨雲レーダー画面を見て、方々に散らばる雨雲の切れ端の将来を望んでゐたのだが、我が偉大な半島には其の欠片の一つも寄り付かず、深夜に至り湾の対岸を潤してゐた大きな積乱雲さへ当地を掠めることなく消滅せり。
嗚呼、夕立恋し、雨恋し・・・
(-_-)
         
今天もまた、古刹の精霊棚を訪れ、さまざまな思ひに耽る。
嘗て、此の世とあの世の境界は曖昧であった。此岸と彼岸を往来する神々や霊的存在は数多く、人々は日常的にそれらのものどもとしきりに語り合ってゐたものだ。
現実の風景としては常世浪寄せ来る渚が良い例で、常に揺らぎ、定まることを知らない。渚の揺らぎは生と死の曖昧なたゆたひを象徴してゐるやうでもある。古くは渚に産小屋が建てられてゐたことも、渚が生と死の狭間に位置してゐたことを物語る例である。
また、黄泉津比良坂(よもつひらさか)は玄室(黒い部屋)に至る古墳の羨道であり、生と死のグラデーションであり、明確な境界線を持たない。あの世を「黄泉」と表現するのは中国の影響だらうが、我が国では古くは「青=あふ」(青の島)の世界と表現されてゐたやうだ。
またそれとは別に、我が国では常世のことを「妣(はは)の国」とも呼んでゐた。高天原を追放された素戔嗚尊は「妣の国」に行きたいと泣きわめき乍ら「根の国」(=堅州国)に下りてゆく。憧憬して余りある世界が妣の国であり常世であり、青の国であった。
空が青ければ海も青く、青は藍より出でて藍より青く、青空は蒼天となり青波は蒼海をなす。
(-_-)