冬の豊饒

大いに実測せるらむ

一晩中の咆哮。雲多しと雖も良く晴れて、朝日が眩しい。
乾ききった現場の地面は予想通り、ほどよく湿って表面が柔らかくなってゐた。集石土坑の表面もほどよく雨で洗はれて、礫の隙間に詰まった土も掘りやすくなってゐるやうだ。昨天は養生シートをかけなくて正解だったのだが、雨の御陰様で排土の山の表面からいくつも剥片などが採集できて仕舞ふワケで、嬉しいやら反省やら・・・
(–_–;)
             
今天はX10脇の小さな集石であるX11を断ち割るやうにミニトレンチを設定し、掘削を進める。表面上は小さな纏まりを持ってゐるやうに見へたX11だが、トレンチを掘り始めると土坑を伴ったものではなささうだった。地表下は剥片や石器片を含む遺物包含層で、10cmほど掘り下げたところから分厚い土器片を発見。果たしてそれは、求めてゐた撚糸文土器の口縁部だった。
一方調査区南方の数カ所にも、剥片や土器片が比較的まとまりをもって出土する場所があることが判明し、遺物を地点上げし乍ら慎重に発掘を進めた。或る部分では、全く形態の異なる4つの石鏃が比較的狭い範囲から発見され(有茎は初出)、同時に細かなチップや白色風化石材の大きな剥片までもが出土する。磨石のやうな丸石もあるし、何とか遺構として把握できないかと何度も検出をかけてみるものの、果樹の撹乱なども重なってだうしても括ることが出来ない。
それにしても此の雁合遺跡上段区、所謂白色風化石材の大きな破片が多く、大石核とみられるものも多い。宮西遺跡では文字通り、表面が艶消しの大理石のやうな白色のものが多かったが、洪積台地上の雁合遺跡では、赤褐色〜黄褐色の土壌の影響か乳白色風化が多い。更に、所謂奥三河産出の松脂岩と思はれる溶結流紋岩表面は、薄緑色や青緑色、薄桃色のものが有って、結晶性の夾雑物も多く、草創期と早期の石材の相違として何らかの傾向がありさうだ。宮西遺跡では見られなかった黒曜石片もしばしば見られるものの、製品は殆ど無いのも不思議だ。
(-_-)
         
今天の工作活動は、大掘削と大検出と大測量の同時並行的進行するも、出土文物面でもなかなか収穫多く、濃厚な内容の調査であった。各種石鏃は先述の如し、土器は撚糸文に続き、神宮寺タイプのネガティブ押型文(と思はれる)、そして謎の凹凸のみられる数片が発見され、嬉しきこと。ただ惜しむらくは、遺物包含層から出土する土器は器面が荒れてゐるものが殆どであり、集石遺構や炉穴から出土するものは二次被熱に因って脆くなり、洗ふことすらままならないものが多いことだ。
(ー∧ー)贅沢言ふな!
        
冷たい風の吹く一日だったが、夕方前には乾の彼方に巨大な灰色雲の壁が立ちはだかり、みるみるうちに時雨。慌てて工作活動を中止して、這々の体で退散セリ。
(−_−)
              
 
           
石鏃もイロイロ 有茎は初出!
            
 !!
             
遂に雪雲の襲来せる! 待避せよ!