東風吹かば・・・

大山も雨雲にけぶる也

停滞したぬるめの空気が充満した朝で、曇り空では三椏の花も映ゑない。此の妙な具合の空気の澱みは、既に午後からの雨を予感させるに十分だった。
(-_-)
        
さて、現場へ。
崖っぷちに出現した新たな集石土坑の断ち割り。本体の直径は約1m、擂り鉢状の断面で深さは70cm近く。驚くべきことに、其の底部は固結シルトの岩盤を穿ってゐる。トレンチの被熱礫表面周辺からは石鏃や土器片が出土するも、遺構埋土そのものからは殆ど遺物が発見されなかったのだが、今回は埋土のかなり下方の炭化物層から撚糸文土器が1片出土し、やうやう遺構の所属時期を特定することが出来た。
それにしても、我々現代人(一部原始人)が鉄器を用ひても猶相当苦心して砕くことがやっとこさの硬い土層を、いったいどのやうに掘削したのだらうか。勿論、固結シルトの岩盤が、縄文早期の段階ではまう少し固結度が低かったのかもしれないが、いずれにせよ相手は地質学的年代だよ・・・
(-_-)
         
集石炉と呼ぶには躊躇ひがある。
と言ふのも、平面的な大きさはさておき、遺構の深さだ。例へば、捕獲した動物を調理する際に、何故このやうに深い擂り鉢状の土坑を掘削しなければならないのか。そして、何故に斯くも大量の礫を全体に充填し、火を焚かなければならないのか。更に、地面に穿たれた土坑に盛り上がるやうに集められた礫を、どのやうに用ひて調理したのか。または、調理の場でなければ何のために用ひた痕跡なのか・・・ 
集石土坑の謎解きは、まだ始まったばかり。
(-_-)
           
 

                

予報通り、お昼前後からぽつぽつと雨降りはじめ、折角セクション図を取る準備をしましたが、取り敢へず集石遺構の写真撮影だけにして資料館方面へ退散せるらむ。
(-_-)
              
              

名古屋のとあるベッケライの、美味しいプレッツェルいただきました!
エド・はるみさんの姿もさんまの番組で見ることができましたし、今夜は最高!?
(–_–;)古っ!