雁合式1

石英または水晶製のやじりにて候

休み明けの雁合遺跡、ブルーシートの上にはところどころ、一昨日降った雨水が溜まってゐて、新品のシートの撥水と相俟って美しくも儚くも其の水面に今天の灰色雲を映す。そんな透明で刹那の世界は、ほんの数分後にはどろどろの長靴で蹂躙され、覆水盆に返らず、天水は大地に帰る。
今天は電絡情報網の末端から、いろいろな訪問客有り。三重方面からの渡海客である小濱氏からは、予てから分布の予想されてゐた渥美半島に於ける炉穴の発見が遂になされ、分布論や形態分類の類例増加に寄与すること大であるとのコメント頂戴する。また、三重方面からふらり超然と現場に出現されたKBT氏からは、円形土坑との切り合ひや煙出し穴周辺の被熱面の再検出に関するアドバイスや、豊橋方面における検出例のことなどご教示頂く。いずれも有り難きことにて、此の発見の重要さを改めて実感する。
さて、発掘は掘削と遺構の平面図やセクションの断面図測量も同時平行式に展開し、集石炉を兼ねた土坑や炉穴の他、ナイフ形石器を出土する地山面にもやもやもやっと掘り込まれた曖昧な遺構が竪穴住居址である可能性がますます高まり、心地よい緊張感。1辺約2mほどの竪穴は住居址としていかにも小さいやうに感じるが、至近の距離(屋外)に炉穴などの調理場があるとすれば、居住するにはさほど不自由でもなからう。床面と想定したあたりのレベルからは石鏃や土器片(残念乍ら保存悪く文様は確認出来ず)に加へ、被熱しエッジの割り取られた磨石や端正で完璧なシェイプを持つ玉子石が出土。石皿や何処?!
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それにしても縄文時代草創期後葉から早期前半にかけて、現標高17mほどのこの丘陵は更に数十メートル高い標高にあったらうから、植生環境も段丘地形の発達状況も現在とはかなり違ってゐたワケだ。当時此の段丘面に住居を構へた人々は、尖底土器用の炉穴や燻製施設としての炉穴の他、露天の集石炉(熱した石を用ゐた蒸し焼き調理用と考へられる)、そして直接地面が被熱しただけの地床炉など、実に多様な調理方法を巧みに使ひ分けてゐたのだ。
此の状況に遊動性の高い生活形態は想定できず、寧ろかなり大地に根付いた定住生活を想像せざるを得ない。雁合遺跡の場合、ほぼ同時期に5mほど下がった沖積面に於いても活動の痕跡が見出せるワケで、日常的な往還がどのやうな機能や場の役割に由来して為されてゐたものかてうことに、大変興味が有る。
ところで此の時期、なかなか製品完器は出ませんが、黒曜石や石英(水晶?)の剥片出土しますので、そんな素材で石器を作っておられたのですね。其の不可思議な透明感は神秘的で、今でもほんの小さな剥片の発見に、思はず声を上げて仕舞ふのは何故!?
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