物語るてうこと

南限の日没

平面的存在である写真によって語られるさまざまなものがたり。
其処に展開した物言はぬ情緒や感情、情感や精神、そして何よりも、厳然と存在する気配と虚無。過去の特定な情景を固着化した写真の持つ力は時に絶大且つ脆弱無力であって、浮動的。
それでは、例へば我輩が過去に撮影した写真たちはいったい、何を写し何を語らうとしてゐるのか。無作為ではないし、無意味でも無ささうな、かといって特定の人々にどのやうな情報をどれほど、伝へたのだらうか。または其のことにどれほど貢献したのだらうか?
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朝までに雨去り、輝かしき日差し。雨後の寒さも無く、寧ろ南方の暖気をもたらした様子。
前線と低気圧の往来で多種多様な雲が飛来し、岬の夕暮れも劇的な情景を見せる。此の時期、遠来の客人も往来激しく、沖の渡合ひを行き交ふ小舟の如し。でもね、各人個々、それぞれの人生を送り刹那刹那に完結した円環を結んでゐるものと勝手に信じてゐるだけなのかもしれないな、根拠も無いままに。何かの弾みに、ふとそれらを俯瞰してみると、個々の其の多くが実は、切っても切れない「臍帯」で繋がってゐるてう事実を認識させられることがしばしば起こりうるのだ。運命の糸も其の一部に過ぎないが、複雑に絡み合ふ此のエレガントな紐構造の罠に、意図的に絡め取られてみるのも一つの手かもしれない・・・
          
何を信じるかは個人の自由だが、自らが信じたものの実存性を時折確認してみることも、必要なのかもしれない。
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