思考錯誤

この艶やかなるは

今天は間食多くせり。
ポキポキポッキーにはじまって、堅焼きせんべい(黒胡麻入り)、ベッケライのシュトーレン一切れ、檸檬クリームのクラッカーサンドなど。いけませんね、既に中年の体質であることをもっと自覚せねば。
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大深夜に放送中である「24」(シーズン5)の影響で多少起床時間に支障を来しはじめてゐるが、このところ何かとお山だの焼き物に縁のある状況にて、今天も午後の短時間、中世墳墓の眠る泉福寺方面へ登る。念願であった、嘗て常世の渚から、中世の人々によって此の山中に持ち込まれ、先年の我輩らの調査時に人里に持ち去られてゐた円礫群を、奥津城に戻してきたのだ。千年後の人々にとっては、このやうな行為は何ら意味を持たないものであるとも、詳細な分析技術の発達に因って平成の大盗掘と大調査の様子が詳細に復元されるのかもしれない。
さておき、皆様の御協力によって石組みの方々に植ゑた龍の鬚の様相もまちまち。中にはかなり根を張って、山葡萄のやうな独特の艶やかな群青色の実をぎょうさん稔らせてゐる一列もあった。基本的には常緑樹の原生林に、時折植林された杉や檜が混在する極相林に達しつつあるので、樹林の下は多少薄暗く、千両だの万両だの梔の茂る更なる影に、龍の鬚は育ってゐるのだ。
昨天の普門寺でもさうだったが、此の海さへ見へぬ山中に、渚で拾った丸石を手に手に携へて登った人々の様子や心情に思ひを馳せ乍ら、六根清浄お山快晴。簡易な祈りとともに、石塔の袂や未だ記憶に有る墳墓の石囲みに置き去る。再び里に持ち去られることなど無きやうに・・・
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天気図では弛緩した等圧線が本州上に数本、うようよと這ってゐるだけだったのでさほど風も寒さもあるまいと高をくくってゐたが、結構寒かった。様々な可能性の検討を経て、先日の炉状遺構は縄文時代早期の所産である可能性が高まってきた。焼土面や大量の被熱礫で充填された土坑などと相俟って、緩斜面一帯に早期の遺構群が展開してゐたと考へるべきであらう。さすれば、以前表採されてゐた押型文土器の存在と結び付き、大変重要な意味を持ってくる。さう言へば、超小型トロトロもあったっけ。
旧石器時代末から草創期にかけての遺物が低地の分水嶺一帯に展開し、早期には丘陵斜面へ移動。其ノ後も低地と丘陵への移動を繰り返し、其の痕跡と遺物を一面に残してきたワケだ。大変興味深い変遷過程なので、冷静に分析しなければ・・・
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