空、風、火、水、そして大地

配置の妙

今天は午後から普門寺へ。
今回の目的は元堂基壇周辺の発掘調査見学であって、長年当地の踏査を続けておられるISKW氏を先達に、山門脇の駐車場に車を止め、本堂への参拝もそこそこに、今回は左沢側の登山道を黙々と登る。
此の周辺一帯、紅葉は既に最盛期を過ぎ、それでも名残のもみぢばが歩みを進める度にはらはらと、ひらりひらりと足下に舞ひ落ち、季節の風情は大いに感じらるる。ほんの10分ほどで、元堂の平場へ到着。
東西に細長く展開する平場には、複数段の基壇や礎石群のほか、北側の断崖や高みにある陰陽石直下より湧出する水を集めた池の遺構、その脇には庭園風の配置を見せる大岩の数々など、さまざまな要素が交錯し、更にそれぞれが時間的重層性を以て輻輳する。
事実、今までは地表で其の存在を知ることが出来なかった石垣や石組みが、五輪塔や中世陶器などの遺物を伴って発見されており、其の方向性や埋没水準が既存のものとは必ずしも整合しないことなどから、予想以上に複雑な拡張過程や、後世(近世)の改竄地業が影響してゐることが判明。それに、崖に近づくほど上段の中世墳墓群からの崩落土が分厚く堆積し、一石五輪塔や宝篋印塔の断片、円礫や骨蔵器陶磁器片なども混在するため、それらを慎重に選別していくことが肝要だ。さうさう、五輪塔と言へば、西側の基壇は方形であり其の平面形は方形を呈し地輪の如し。東に隣接する池は円形で、水輪の如し。とすれば、更に東側の庭園風遺構に屹立する石は三角形で火輪を模したやうでもあるし、空風輪はさて何処・・・此の平場全体が、巨大な五輪塔として演出されてゐる?
調査はまだまだ、多数のトレンチの基本的掘削が開始されて一部にやっと地山が露出した段階でもあり、残りの掘削予定地も広大だ。出来れば、謎を秘めた池の底を浚へて、元堂の基壇に秘められた謎を積極的に繙ひて欲しいものだ。
其ノ後我々は元々堂へ。此処では元堂より遙かに古い遺物も発見されており、名前通り、普門寺発生の謎を秘めた平場遺構だ。
南方に突き出した尾根の中腹を切り崩し、最終的には鏡岩を露出させ、基壇を築く。礎石は並び有るが、其れは第二段階のもの。初期の遺物は一段下、即ち、中央基壇の周縁部の特定の範囲に散布してゐる様子。当地に水の気配無く、代はりに南方遙か彼方に遠州灘の光り輝くを見ゆ。さすれば、此処は補陀落渡海の成願祈願する、彼岸と此岸の境界を具現化した堂宇の存在せし場か?
元々堂から元堂を経て、山裾の現在の本堂へ。其の移動の過程は宗教観や教義変容の過程であり、政治的勢力の変化や人心の変質、修験の盛衰と相俟って現状に見る痕跡を山中に残すものと思ふ。
残された遺構や遺物、それと現地の環境などから、どれほどの情報を読み解くことが出来るのか。いにしへの知恵は深淵で、複雑な回路と表層を持ってゐるやうではあるが、それらの構成要素は極めて原始的で、直感と六感の世界に由来してゐるのだ。
      
(―_―)とっても深いね