名古屋にも似ぬ空の色

蘇鉄門

我が陋屋の敷地内に、崩れかけた小屋がある。
嘗ては道具小屋だったのか、それとも家畜小屋だったのかは判然としないが、四畳半ほどの広さ。近年土壁の崩落が著しく、おまけに傾きも徐々に増し、倒壊は時間の問題だらう。
屋根は当の昔に腐り落ちて無いが、以前鶏小屋に改造せむとして、廃棄場から曲がったトタン板を拾ってきて修復したことがある。その上には近くの国道沿ひに植ゑられた椰子の木のやな葉を大量に貰ってきて、葺ゐたこともあった。強風地帯故、半年ほどでその椰子の葉の大半は吹き飛んで何処か知らない世界に行ってしまったが、トタン板は其ノ後の数年間、雨漏りすることもなく持ち続けた。
肝心の鶏小屋はといへば、せっかく購入してきた雛(鳩くらいの大きさ)数羽はその夜のうちに鼬に連れ去られ*1、翌朝には数枚の羽を残して失踪。隙間無く網を張ったつもりだったが、鼬は軒下の僅かな隙間を見つけて潜り込むやうにして侵入したやうだ。余りの悔しさに、防御網を強化し翌週には懲りずに再び数羽の雛を購入してきたが、果たして翌朝には雛たちの姿は無かった。
今回は軒下ではなく、小屋の腰回りに貼られた板の根元を掘り、そこから侵入したやうであるが、我輩はただ唖然とするばかり。相手は野生の獣だから其の探査捕食能力が優れてゐることは言ふまでもないが、この種の戦ひは人類が動物を家畜化して行く過程でいくらでもあったことで、今回は我輩の知恵と予算が不足してゐただけのことだ。
後日、近所のおばばさまに此の話をすると、此の辺りの農家でも昔はどこも鶏を飼ってゐたが、鼬は穴を掘って侵入することが多いので*2、腰回りの金網は最低20センチは埋めて張り巡らせるとのこと。も少し早く此の話を聞いてゐれば対処法も変はっただらうが、後の祭り。
そんな小屋も、其ノ後十年近くは使はれることもなく、朽ち果てるままにしておいたのだが、いよいよ此の有様。今天は朝も早よから、残った数本の梁にロープをかけて、傾いた方向にうんこらどっこいしょっと引っ張ってはみたものの、おかしなものでこれがびくともしない。数十分の努力も虚しく、結局ほんの少しも引き倒すことは出来なかったのだが、是もまた自然の成り行きに委ねることしか方法が無いやうだ。
(―_―)
          
今天は新たなる試掘現場へ。
住宅地と畑地の狭間、芭蕉の著名な弟子であり、名古屋を追はれて蟄居を命じられた杜国の屋敷跡の脇。予想に反して縄文の貝層は無く、代はりに中世のかなり良好な貝層を検出。山茶碗や山皿、大甕の破片などを多く含むので、時期の特定も可能。下層には奈良朝の須恵器も含まれてゐるやうだ。アサリが主体で、僅かにアカニシやマガキを含む。ブロックサンプリングをしたので、洗滌が楽しみではある。場所は、著名な保美貝塚から南に500mほどの河岸段丘
天気良好で、周囲のブロッコリー畑からは山田の谷や泉福寺方面、椛に抜ける峠に屹立する大岩まではっきり見へる。風もさほど冷たく非ず、穏やかな環境。地山の検出から壁面の実測などをてきぱきと終へ、明天は隣接地へ移動だが、どんな様相を呈するのだらうか。
(-_-)

*1:以前よりしばしば、我が家の敷地内どころか家の中でも鼬の姿を確認してゐたし、文字通りのイタチごっこの果てに大鼬を捕獲したこともあるから、確かなことだ。

*2:一般に鼬は動物の肉を食べるために襲ふのではなく、血を吸うだけだと言はれてゐた。しかし、こんかいの鼬は肉も目的にしてゐたやうだ。