屠蘇散準備

木霊の気配

身近に薬局が一軒あるが、実際にはホームセンターの隣に出来た大規模連鎖ドラッグストアに行くのが常である。
各種規制緩和以後、この手のドラッグストアでも食品やアルコールを売ることが常識になりつつあるのだが、今天はレジの脇で屠蘇散を見かけたので買っておいた。まだ11月も三日目のことだから、屠蘇を準備するには早すぎる気もするが、現実的には新暦師走にしか売ってゐないので仕方ないのだ。
屠蘇の由来は三国時代の華陀の調合にまで遡るワケだが、邪気を屠り魂魄を蘇らせるの意。鍾馗様同様、極めて道教的で古式な風習が残存してゐるものだとは思ふが、今や風前の灯火なのかもしれない。我が御幼少の砌、近所の友人宅では大つごもりの夕方清酒に浸して滲出させてゐたが、我が家では味醂を用ゐてゐた。元旦には、未成年であらうがコビトであらうが、三段重ねの杯のいちばん小さなもので飲まされたものだが、なぜか年少者から飲み始めるのが常であった。今でも、桂皮だの丁字だの陳皮の複合された独特の香りが鼻腔の奥底に残ってゐるやうな気さへするが、味醂だったからコドモでも飲むことが出来たのだらうね。
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それにしても今天の暖かさは尋常に非ず。工作活動の一環として雨上がりの森を皆で探査し、いにしへの石器や陶片を探し歩いたのだが、山中斜面に無数に散らばる石屑のひとつひとつに、人為の痕跡の有るや無しやを認識することの難しさよ。自然と人為の距離がこれほど近接した状況もまた希であらうよ。
        

         
嘗て我輩が多くの中世陶器や五輪塔を発見した知る人ぞ知る地点遺跡であるが、何やら非凡な遺跡に発展する兆しも有るぞなもし。
(-_-)
       
暖かみを孕んだ湿気を得、森の緑もことさら爽やかで、極相林の下草に紛れて千両や万両の赤い実が色鮮やか。そして時折、木陰に橙色の豆電球を点したやうなクチナシの実。里山ほどの四季変化は著しくないが、原生林も冬の準備万端の様子。
しかし、この暖かさ・・・