いと恙無くあれよ

弥生の餅肌

土器の肌を、しげしげと眺める。
「しげしげと眺める」とはどうゆうことかてうと、ぢっくりと穴の空くほど見つめてみたり、眺め回すてうことだ。しげしげとは繁々と書くやうだが、「足繁く」の時の「しげ」だから、普通より頻度が高かったり程度が大きくなくてはならないのだらうね。
さておき、ぢっと、つくづくと、眺め回し、ディバイダーなどをあてて計測してみたり、拡大鏡で器面の細部を覗いてみたり、マコだのキャリパーだの肝心要の道具を忘れてきてしまったので、縦割りの外形だけは測点多めにしてグラフ用紙に写し取ってみたり。
それにしてもこの淡泊などことなく卵を連想させるつるりとした器面に、縄文人達から見たらやる気のない気怠い筆圧の櫛描き文様(平行線や波状文)が施されてゐるのだが、如何にも「この形の壺にはかういうふうに文様を付けることになってゐるので付けておきました」といふ感じの投げやりな印象。誰が何時このやうな規格化をおこなったのかは知る由も無いが、この時には既にさうなってゐたのだ。
はなっから其の目的で作られたのかは知らんが、是は中型の壺の頸を意図的に欠いて、土器棺として地中深くに埋納されてゐたのだ。此の土器棺に葬られた者は誰だったのか、今となっては知る由も無い。しかし興味深いのは、此は勿論弥生土器なのだけれども、埋設されてゐた場所と地層が、縄文時代晩期の貝塚にほど近い遺物包含層であったてうことだ。埋土の中には無数の貝殻や、条痕文土器の欠片が混ざってゐただ、弥生の人々はそのやうな地中から掘り出される過去の遺物を見て、いったいどのやうな感慨を抱いたのだらう。
(-_-)
         
昨夜から明け方にかけて、此の時期にしては結構な量の雨降った。朝までに雨は上がったが、暖気が残ったお陰で、濃淡著しく山の端や山懐には霧が沸き立つ。
巴里ではカダフィ大佐の来訪に伴ひ、セーヌ川にかかる橋を通行止めにしてみたり、エリゼ宮に招き入れてみたりと破格の扱ひで大盤振る舞ひ。アルジェでの自爆テロの件も関係してゐるのだらうか、嘗てのテロリスト、ジャマヒリアの星*1、34年ぶりの訪問に気をよくして言ひたい放題。
            

発端は、10日に行われた1度目の首脳会談後の発言。サルコジ大統領が報道陣に、「大佐には人権状況の改善を求めた」と語ったところ、カダフィ大佐は、「その話はなかった」と真っ向から否定。ホストの顔に泥を塗る形となり、「二人は互いをウソつき呼ばわりした」と仏メディアを騒がせた。
さらに、大佐は、アラブ、アフリカ系在仏移民を多数招いた11日の講演で、「フランスは人権を語る前に、自国内のアフリカ大陸からの移民の人権を守れ」と発言。クシュネル仏外相が「くだらん」と異例の言葉遣いで反発した。
11日の大佐と仏下院議員との懇談は、招かれた議員80人のうち与党議員も含む約50人がボイコットした。もともと、今回の訪問については、野党・社会党が「サルコジ大統領は独裁者と巨額の商取引をするのか」と批判するなど懐疑論が強かったが、歯に衣着せぬ“カダフィ節”を目の当たりにして、仏政界が拒否反応を起こした形だ。
また、12日午後には、大佐は艀(はしけ)でセーヌ川下りを楽しんだが、警護のため仏の機動隊が同川にかかるパリ市内の橋を大佐の動きに合わせて次々と封鎖、市民や観光客が足止めを食った。社会党のドラノエ・パリ市長はこれに激怒、「こんなことはパリの歴史で初めてだ。この訪問は市民の胸中に病を引き起こす」と声明で厳しく批判した。
                (2007年12月13日19時9分 読売新聞配信の記事より引用)
        

          
或る意味、溜飲の下がる部分もあるが、いくら弁護士出身の猿居士であっても、厄介な客の筆頭であることに変はりはなからうて。巴里市長を怒らせてしまったやうだが、巴里市長と仏蘭西大統領の仲が悪いことなど今に始まったことではないので*2平気の平左だらうが、先般のやうにまた大規模なマニフェスタシオンを招いてしまふと年末年始が大変なことになる。SGHR先生の御家族ご一行様も、新年の巴里風情を楽しみにされてゐることだらうしね。
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*1:彼はいまだに大佐のままなのか? どこぞの国では書記長が一番偉いやうだから、大佐が一番偉くてもかまわんワケだ。我輩など中学校の時は生徒会で書記をしてゐた経験があるが、さほど偉くはなかったぞ。

*2:近年ではシラクvsミッテランの対立が記憶に新しい。