ヒト、モノ、コトの隙間

何思ふ?

赤坂氏の講演内容に関する覚書
あらゆるものは「時代」のなかにある。国家観を描けない考古学の行く方向には、何があるのか。縄文時代には「日本」は無かったのか。何故縄文時代であり、新石器時代ではないのか。
「前の畑と裏の山」
西日本的なイメージ先行の弥生像がいまだに主流である理由は。
文字とは、常に権力に寄り添ふもの。国々のタマを、文字言霊を以て国家天皇に献上する。公や天とかかわるものが歴史の中心にあるが、「私」の世界はどこに存在するのか。
モノとコトの関係(既に熊楠が考察してゐる、根源的な問題)
民俗学者:モノに冷淡であり、専らココロに重きを置く傾向。これに対し、遺物のみから構成される世界観の奇妙な動き。植物質に満ちた現実的生活を、残ったモノだけから語る考古学がどのやうに復元しうるのか。
「前の畑と裏の山」を考古学が検証しうるのか。もし検証し得ない学問であるとすれば、それは何なのか?
モノに宿るココロについて、常に忘れないでおくこと。
生の儀礼と死の儀礼は、同一ステージに存在するものであること。生と死を分離せしめる根源的要素は?
神仏の分離はたかだか100数十年のこと。
如何に歴史の視座を東アジアに向けていくか。考古学、民俗学歴史学の境界を、どのやうな方法で越えるのか。
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小雨が抜けて、遂に冬型の気圧配置に。
夕方から北西風激しく吹きはじめ、夏の間手入れもせずに放っておいた雨戸の板を激しく揺らす。何枚かは既に釘も錆び付いてしまって、桟木から外れてがたがたと揺れ動きうるさいので、引き剥がしてしまった。家の歪みが益々ひどくなり、廊下の引き戸は微動だにせぬものあれば、その横のものは桟を外れて本棚に寄りかかったまま。当然、ばうばうと屋内を吹き渡る風もかなりのもの。さう言へばまだ炭の用意もしていないし、早く冬仕様に作り替えなければ。年内は客人も多いことだし・・・

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