定義と解釈の隙間

此処にも貝殻の痕跡が・・・

貝塚に葬られしもの。貝塚で送られしもの。貝塚に送られしもの。
         
土器も石器も、食料残滓である貝殻や獣骨や、そして人間さへも葬られ、此の世から彼岸へと送られる。送られた道具や文物事象は大自然の循環に帰依し、円環軌道を経て再生の経絡に入るものと信じられてゐたのだ。
縄文貝塚の殆どは、日常生活の縁辺に有り乍らも、命や魂魄や、個々それぞれの役割を終えたものたちが帰って行く場であり、聖と俗、ハレとケの入り混じった不可思議の空間=境界域であった。再生装置としての貝塚は、集落の消長と共に成長し、部分的にさまざまな個性と属性を孕みつつ、物理的堆積を以て集落の万象を封印する。
                 
そして、一旦始まったものごとは必ず終焉を迎へるのであり、始まりと終はりを循環させて森羅の再生を促進する装置であり場であったはずの貝塚自体もまた、現場で送られ、封印されて行くのだ。これもまた、境界域の宿命であるのかもしれない。
            
考古学者は、このやうな現象としての貝塚を断ち割り其の断面を直接観察する特殊権利を有しつつも、果たしてどこまでその本質や存在理由を感覚的に理解してゐるのだらうか。ともすれば、内包された個々の諸要素の編年や分類などに魂を奪はれがちになって、総体としての本質に触れることなく報文を終へる場合も多いことは、誠に残念なこと。 
                   
重ねて言ふ。縄文貝塚は単に無用物の廃棄場所ではなく、此の世で役割を終えた全てのものが帰って行く場所であったのだ。これは、さまざまな分析の果てに得られた結論でもありまた、解釈の出発点でもあるのだ。
貝塚を称して「昔のヒトのゴミ捨て場」とは何たることか。