隠された本質をどこまで感得できるかてうこと

諏訪のお山

曜日感覚は麻痺したまま、自らカレンダーに書き込んだ予定を信じて起床。友人夫妻と共に、遠州の霊山と山岳信仰の謎を探る講演会へ。
内容は濃厚な2本立てで、先づは天台宗の何たるかを知るべく、改めて叡山の蘊蓄あれこれ。我が邦に於ても所謂古代山林寺院の出現の背景(基盤)には、それ以前の古い地主神を祀った古層が存在する場合が多いてうこと。
土地の選定に際しては全く神社同様、浄処を旨とし、其の土地の気脈の集中セル明堂や龍穴に位置する場合が多いこと。最盛期山林寺院の特徴としては、1:人里から近い山中に立地しながらも、2:里からは直接その存在が見へず、3:近隣の山地を遠望出来、4:往時の交通路に沿ひ、5:国境や郡境に位置する場合が多く且つ、6:寺院への登り口付近に神社や古墳・古墓など前時代からの浄所または聖地であったことを示す遺跡・遺構が存在する場合が多い。
規模の大小にはさほど拘泥されるものではないが、山容の秀麗な神奈備山の存在は重要であるし、寺院を囲繞する山脈の稜線からは近隣の霊峰が目視出来ることも重要である。
確かに、比叡山に凝縮された聖地の構造や其の構成要素は、各地方の地理風土に応じて柔軟に比定され、各地の浄所聖地を取り込んでその風土に浸透し、一体化して行く。
2本目はこれがまた壮大な謎解き、遠州全域を囲繞する行廻り(尾根道)の存在と、遠江の国峰の比定。信仰の根源としてのハナの窟や広大な地域に巧みに配置された山王系の鎮守神。山岳修行や巡礼の唱和する御詠歌や、修行地で先達から直接伝授される秘歌の解釈。聖地の雛形として敷衍された熊野三山の構造とその構成要素や、それら宗教的中心地と地方におけるその地方的解釈を促進させた聖の存在。見立てとその解釈などなど・・・
これらは文献や義軌教義からだけでは到底理解することのできない、実践的体感的、立体的かつ地理風水感覚の総動員された小宇宙であって、同様の理由で文章化して報告することも難しいが、日本各地にその残欠を見出すことが可能である。
遠州における囲繞世界は円環する行廻りの巡礼路として自己完結するが、基本的には熊野権現遠州的解釈である。国境郡境を遠州と共有する東三河の教線は地理的には囲繞形態は取らず、東西日本の境界域(または同時に連繋橋頭堡)として存在し、浜道や補陀落渡海を介してより直接的に伊勢・熊野と結びついてゐる。これらの教線は中央構造線に沿ってその東端が北上し、秋葉道と合流して伊那谷を経て、諏訪の神域に到達する。
う〜む、広すぎて深すぎて、なかなか手強いぞぃ。。。
(–_–;)
     
でもね、いくら公休日でも、遠くから来てるんですから講演会後も展示見せてくださいよ。それくらいの融通はあってもよいのでは?