一興のご託

劇的な黄昏で御座ゐましたね

起床時間を無理矢理調整し続けてゐると、当然の如く就寝時間方面にしわ寄せが来るワケで、夕方になるとかなりだるい。精神的な気怠さは無くあくまでも肉体内部的生理的な由来のだるさなのだが、おいそれとその場で眠ってしまふワケにはいかないので、なかなか辛いものがあるな。
        
それにしても我が肉体から遊離せし魂魄は、今頃何処を漂白してゐることやら。飛行ルートに沿って追尾してきてゐるとするならば、中央アジアから中国大陸西部大開発地域にまでは到達したものの、肉体に包括されてゐた時代には馴染み深かった此の土地柄風土に絡め取られ、新彊だの青海だの西藏あたりに根を生やしてしまったのかしらむ。
それならそれで、今後の生涯を脱魂状態で過ごすのもまた一興とは思ふが、各種工作活動の中には魂魄の勢ひをして対象者を折伏せしむ必要の項目も多々あるので、ちょっと困ったものですね、などとこの場に及んでも人ごとのやうに・・・
(−_−)
          
展示展示、さうさう、展示のことでしたね。
物理的に極めて限られた空間に、何をどのやうに展示(提示)するのかてうこと。果たして展示者の意図はどこまで観覧者に伝はるものなのかしらむ? いくら容易な表現語句を用ひてつらつらくだくだとご託を並べても、1点の実物展示に勝るとは行かずとも同等の効能を人々にもたらすには、並々ならぬ言語感覚と文章の吟味が必要であらうし、そもそも解説することの意味そのものが寧ろ問はれることになってくる。見易さばかりを優先して主旨の焦点を暈かせば、単なる見せびらかしや展示者の自己満足範疇で結構し、殆ど意味や意義の見出せない展示になりかねない。世の中には解説などを一切排除し、文物や環境そのものを五感で体験させることを最優先した施設もまま存在するが、展示者の意図や観覧者の理解や文物・環境の存在そのものの三者は、最後まで乖離したまま終始する事態に成りかねない。これとは反対に、余りにも煩瑣な解説にウンザリして文物の鑑賞さへ疎かにして施設から退散してしまふ場合だってあり得るワケで、各施設ごとに千差万別臨機応変とはいえ、その力学的案配は大変難しいのだ。
たかが展示、されど展示。
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