ものの「致し方」について

蘇鉄の刺々しき葉も亦、致し方ない

今朝も半ば無理矢理、6時半に起床。
(―_―)zzzzzzzzzzzzz
          
旧暦ではまんだ9月22日だが、今ではあっちもこっちも11月1日になってしまってゐて残念なことだが、致し方ない。でもふと気付くと、世の中には「致し方ない」ものどもが蔓延ってゐて、何とも人々の厭世観を増長することに貢献してゐるやうだ。ガソリンの極端な値上げも「致し方ない」のだらうが、正確には極東の一般消費者には「致し方の仕様がない」だな。伊勢の名物赤福餅の製造日不適正表示発覚による無期限業務停止命令も「致し方ない」ワケだが、個人的には鳥羽の赤福茶屋を贔屓にしてゐただけに、誠に「遺憾」でもある。猶、御福餅に対しては特に執着心は無いので、とりわけ「致し方ない」ワケでもない。
(-_-)?
           
或る資料館に於いて直面中の、深遠な展示世界。
何気なく置かれた1片の土器片や石器が、何気なく訪れた人々の心の奥に染み込んでいって、その日やその場所やその瞬間を忘れ難ひものにしてしまふこともあらう。此とは逆に、学芸員によって精緻に計算し尽くされたはずの隙の無い展示が、人々に息苦しさや難解であるてう印象を与えへてしまひ、資料館全体の印象を悪くしてしまふこともあらう。展示物の見易さや、キャプションや解説文の分かり易さは当然重要だらうが、場当たり的、または全体を貫通するコンセプトの貧弱な展示は、見る者に感興をもたらさず、思ひ出の片隅にも残らないことが多い。それでは、展示を通じた意思の疎通や情報の伝達がどこまで可能かと言へば、それは臨機刹那であって定石王道は無く、「何か良い方法を教へてください」と言はれても返答の仕様がないワケで、こればかりは「致し方」あるまい。
今天は此の方面の重鎮も来訪され、担当者に直接あれこれ率直な感想や各種助言なされた様子。我輩はひたすら裏方黒子に徹し、粛々と展示工作の一端を幇助するのみ。早い話が、常に矢面に立つのは担当者約一名のみであって、我輩は常に何処でもまれびとであるが故、その後衛で粛々と工作に執心する他は無いのであって、この立場の相違だけは「致し方ない」。
(−_−)ホント?