電影的感傷?

カルチェ・ラタンの石畳

電影鑑賞日
Cabale a Kaboul:邦題は?不知道。無理やり訳せば「カーブルの陰謀」?ピンとこないが、とすれば陰謀ではなくて「カバラ」と解釈すべきか?? よくわからん。内乱の時代や海外覇権の跳梁時代、タリバーンの跋扈する時代からアメリカによる破壊の時代、さまざまな時代を経たカーブルの中に暮らす二人の人物を中心に撮影されたドキュメントムービーだ。言語は勿論アフガン語だし、字幕は長ったらしいフランス語。両言語とも馴染みの無さに関しては同等だらうから、映像からどのやうな情報を汲み取ることが出来るかてう実験でもある。主人公の一人、ユダヤ系の老人は饒舌だ。日常の空間に撮影者であるダンを気さくに招き入れ、事細かに説明や解説をしながら撮影させてゐる様子。呪術師ではないのだらうが、時折何か(体調不良など)の相談にやってくる人たちに、お祓いのやうなことを指南してゐる。一方2階の住人は太ったパキスタン系の人物で不気味なまでに陽気で多弁。自宅で葡萄酒を造ったり、商売か?しきりにトリを捌いたりしてゐる。二人は隣同士なのだが、特に交流するわけでも憎みあってゐるわけでもなく、それぞれの日々を淡々と過ごしてゐる。映画の冒頭、説明されなければどこか中央アジアの遺跡ではないかとも見へるほど荒廃したカーブルの街が映し出されるが、此処が一国の首都であることを考へると驚きは深まる。とにかく、作品では後半ユダヤ系老人の息子と名乗る男がハンディカム片手に突如出現するのだが、既に部屋の中でダンが撮影してゐることを見てなぜか怒って2階へあがってしまふ。老人も「お前は誰?」などと言ってゐるので、何年も会わなかったのだらう。2階の太っちょは、相変はらず葡萄酒を造り(密造酒?イスラム教ではダメでしょ??)トリの首をナイフで切り裂き血抜きして捌き、日々を過ごす。最後に、雪の積もった中庭をタンかに載せられた老人の遺体が赤十字に因って運び出される情景が映り、恐らく通報者だったのだらう、太っちょが大量の米や肉を料理しながらその状況を説明し、そして終はる・・・
カーブルの日常の片隅の、ごくごく一部のこの物語がどのやうな意味を持ってゐるのか、我輩にはよくわからない。夜10時50分からの最終上映の観客は全部で7名。うち4名が、中央アジア的なパキ的な衣装と帽子をかぶったアフガニスタン関係者?と思はれる人たちだった。
              
深夜近くのクリュニュー=ソルボンヌ、カルチェラタンの一角。まだ何軒もカフェが開いてゐるし、飲んだくれて路上に転がる人もあちこちに。歩いてセーヌの川岸まで出て、人気の無いノートルダム寺院広場まで。冷たい石畳がオレンジ色の街灯に照らされて、まるでニスを塗ったやうに光る。強烈な照明に照らされたノートルダム寺院ファサードに立ち並ぶ、緒王たちがうつろなかむばせで我々を見下ろしてゐる。
                  
                     
 深夜、無人のノートル・ダム前広場