英国式週末その1

満点的英国的朝食

昨夜は遅くまでいろいろ語り合ってゐて、ベッドに入ったのは午前3時を過ぎてゐたやうだが、午前8時頃には目覚めてしまって、さほど寝不足の感じは無い。
我が12年も山あり谷あり(ホントかいね?)の波乱万丈(破卵板上)紆余曲折の幾星霜であったが、この友人の12年間は現在の安寧を大地天空から招き呼び寄せるために費やされた激動の星霜。感服の至りは敬服の極み。
       
窓を開けると意外にもひんやりとした空気が入って来て、ひょっとするとダブリンよりも寒い感じ。朝食前に皆で散歩。家のすぐ脇に残された地方鉄路の廃線の跡がちゃうど川べりの土手のやうになって残ってゐて、半世紀以上を経た時間の力によって今では並木道のやうになってゐる。近所の人もしきりに散歩するらしく、ブラックベリーイラクサにさへ気をつければ、犬を連れてゐても快適に散歩が楽しめるてう仕組み。勿論車が通らないので、安心感も大きいワケで。
其の後ゆっくりとたっぷりと、英国式食事を楽しみながらお喋りなどしてゐると、忽ち午後になってしまった。大倫敦の大観光は諦めたが、せっかくコルチェスターに来てゐるのだから英国でも貴重なノルマン式城砦の残るコルチェスター城の見学に出かける。それは街の中心に有って、土曜の午後のショッピングに出てきた人達で賑ってゐる。
丘の上の城砦はノルマン時代の様相をよく残して、しかしその下層にはローマンブリテン時代の神殿の基礎がそのまま封印されてゐるのであって、となれば当然、それ以前の先史時代からの聖性の重層の結果の産物と基本的に解釈しておかなければならない。城内には井戸も残り、地下の牢獄は我々が実に安易に思ひ描く牢獄の様子そのままであって、重苦しい石(フリント)とレンガの繰り返しによって構築された分厚い壁が何とも時間を付着させて、皮膚感覚で雰囲気を伝へてくれる。堀にも各時代の建物の基礎がいくつも見られる。
歴史的には、此処コルチェスターCOLCHESTERはロンドンことロンディニウムローマ帝国の英国島支配の中心的城市として定着する以前の中心地であって、その時代には単にコローニャ即ち植民地と呼ばれてゐたらしい。ノルマン時代ではそのスペルのはじめの三文字COLがそのまま採用され、CHESTERと結合されて都市名として定着するに至れり。ちなみにパリの古名はパリーではなくルテチア也。
今ではこの城砦周辺、街の周辺はイギリスのどこにでもあるショッピングストリートに変貌してしまったやうだが、中世やともすればそれ以前のプランを残した小路や路地もあちこちに見られるし、忘れ去られたやうな小さな教会堂周辺には意外な静寂があったりして、市内を浮遊するだけでも楽しいなと思った次第。
             
今宵もまた、奇妙で楽しいダンスコンペティションの番組見乍ら、イギリスとは思はれない!?豪勢美味なる晩餐(ラム肉の煮込みとクスクス)を楽しみ乍ら(なにせキャロルさんはフランス料理を修行したシェフなのですから)、久々に何杯も赤ワイン飲み乍ら、昔話やテレビ番組を肴に、夜遅くまで語り合ふ楽しき週末。
英国式の冥利もこの年にしてやうやう、此処に極まれり。
                 
 
              
              
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