湖畔の神秘とその重層

氷河地形に展開する風光明媚な湖群

ホステルの8人部屋、なかなか忍耐力が必要です。
夜遅くに必ず何人か帰ってきて、荷物ごそごそベッドぎしぎし鼾ぐうぐう・・・ それと、最近は部屋の中に小さな手洗ひスペースが有るところも増ゑてきましたが、これも便利だけど実はとてもうるさい。眠ってゐて何の音が気になるかと言へば、実は鼾よりも寝言よりも、荷物開けてプラスチックバッグ(超級市場などで貰ふ手提げ袋)ごそごそさせる音と、水を流してゐる音が一番気になるワケで、もっとも歯軋りは御免蒙りたいけれど、ここアイザックの312号室の鉄路ノイズもなかなかのものです。
昨夜は11時過ぎに数人部屋に戻り、残る3人が帰ってきたのが午前2時頃。うちお一人様がなかなか泥酔状態で2段ベッドの上段になかなか登ることが出来ず、派手に落ちては大笑ひなどするものだから、眠ってゐた他の皆さんも諦めて明かりをつけ、床に入るまでを見守るてう奇妙な状況に。我輩は持参したiPodジョー・ジャクソンなど聞いてゐたのでさほど気にならず、知らん顔で上段で布団に潜ったまま。
さて、問題は朝の電車の往来の殊更激しきことといったら、前回の比ではなく、秋のダイヤ改正で早朝が強化されたのかしらと思はるるほど。結局午前6時過ぎから7時台はうつうつと寝てゐるやうな起きてゐるやうな、死んでゐるやうな浮いてゐるやうな中途半端な状態で、なかなか不快な目覚めにて候。
           
適当に朝食後、昨天同様中央郵便局から小さなパックを発送してみたり、ダブリン最大の本屋を覗いてみたりして時間を潰す。てうのも、今天の目的地であるグレンダロック(グレンダーロッホ)行きのバスは11時半発であり、ツアーバスで行く以外には、ダブリン南部のブレーあたりのローカルなバス会社が運営してゐるこのラインしかないのだ。往復18ユーロで、客は20名ほど。鬱陶しいほど陽気なメリケンカップル(テキサス人)が一番前に乗ってゐて、ドライバーからチケットを買って乗り込むといきなり握手だ何だ、よくわけがわからんのでチケットを見せると、お前はそこに座れだの言はれるものだから、てっきり車掌か何か係員かと思って見てゐると、アクセントがとってもアメリカンだし行動もおかしいし、なんだ、あのおっさんも乗客の一人だったのか、てう落ちがつき、愉快に(不快に?)出発。
ダブリン南部のウィックロウ山脈は、見事「風光明媚」のひとこと。比較的規模の小さな氷河谷が美しく山肌を湾曲させ、あちこちに樫や樺の深い森が点在し、いくつも連なる氷河湖とギネス色の流れが谷底を彩る。水と緑と森に加へ、今天は快晴。そんな渓谷の奥深くに、名高ひグレンダロック初期耶蘇教会群が佇んでゐるのだ。グレンダロックとはゲール語で双子の湖の意。ネス湖のことをロック・ネスと言ふが、スコットランド語ではロッホと同じ。即ち、氷河湖や大規模地溝帯に生じた細長く連なる湖や入り江、またはそれらを繋ぐ水流のことをロック(ロッホ)と呼ぶのだ。
別名「七つの教会の町」とも呼ばれるこの遺跡群は、6世紀に聖ケヴィンがこの地に籠って修行をしたことを契機に始まり、アイルランドにおける初期耶蘇教の聖地のひとつとして大いに発展したらしい。7.8世紀には欧州各地から僧侶や学者が集まり「学者の島」と讃へ称される。此処グレンダロックやモナスターボイス、クロンマクノイズなどを中心に、欧州でも屈指の宗教的学問的中心の雰囲気が形成されてゐた。しかし、その後のヴァイキングの度重なる襲来や(8世紀後半から)、12世紀にはノルマン人の侵入の影響で、これら初期耶蘇教会や修道院群は衰退していってしまったのだ。でも不思議なのは侵略者であるヴァイキングやノルマン人たちで、彼らは確かに初期中世に殷賑を極めた修道院や教会堂などを破壊し支配していったのだが、いったんアイルランドに定着してしまった彼らはゲール語を喋り、ケルト人と同じ服装をし、「アイルランド人よりもアイルランド人らしい」とまで言はれるまでになってしまったことだ。あまりにもノルマン人がアイルランド化して行くため、ノルマン人自身、ゲール語の使用禁止、アイルランド人との結婚禁止令が制定されたほどだが、効果は殆ど無かったやうだ。
中華中原への侵略者たちが、全て中華化していってしまったことと似てる?
                   

                  
とまれ、アイリッシュロマネスクの典型とされるジグザグ文様を僅かに残す大聖堂のアーチ断片や(12世紀になってからの改築)、高さ33メートルの堂々たる円塔(ラウンドタワー)、ロマネスク以前の古拙を残す奇妙な円塔付き教会堂などが、傾いた近代現代の墓石群や秋色の森林や青空と調和し、天国的な光景に沈むこと数時間。森林浴も十二分に出来、偉人のアイルランド紀行の最後を飾る詩的で情緒的で感傷的で思惟的で健康的で開放的な時間を過ごすことが出来た。
                
 
                     
 
                      
さて、かくして我輩の第2回愛蘭土踏査紀行は幕を閉じ、明天は再びクロムウェル以来の強敵である英国上陸を試みるワケだが、如何なりますやら。無事上陸後には午後9時頃倫敦ヴィクトリア駅に到着する予定で、そのままリバプールストリートから友人宅の有るコルチェスターに向かふ。
全ては12年目の正直次第にて・・・・
           
                 
図説 ケルトの歴史―文化・美術・神話をよむ (ふくろうの本)