旅の功罪(大移動日)

アイザック・ホステル

旅が日常に成り果て、成り尽くされた時、人は嘗ての日常を懐かしみ、過去に戻って行く。
しかしその昔が、再び今の日常となってしまった時、人は新たな日常を求めて旅に出るのだ。
遂には、この永遠の繰り返しそのものが日常となり、終の棲家を見つける間も無きままに老ひを迎へ、
肩の荷を下ろしそれを解き解すこともないまま、生を終えるものも多からう。
人生などはほんの刹那の煌きだけど、何処で何をしてゐやうとも虚仮時空の掌の上の出来事に変はりは無い。
            
さて、悟ったやうなことをあれこれ書き連ねてゐる割りに、今は腹が減って今夜は何を喰はふかしらむなどと考へてゐる自分@中華ネット屋、in Dublin.
朝9時に小雨にけぶるキラーニを出発したバスは、ほぼ予定通り11時頃リムリックに到着。今回の乗り換へ有余は25分間なので、鉄道駅で絵葉書を投函したあとは大人しくバスデポでダブリン行きを待つ。小雨は上がり、曇り空。でも寒さは無く、駅の気温表示は15度。此処からは鉄路火車でもダブリンに出られるためか、予想してゐたよりずっと少な目の客乗せて11時半に出発。この前通ってきたキャリック・オン・シャノンでバス事故発生のニュースを、運転手がラジオのボリュームを上げて聞いてゐる。

今回の移動は西海岸から東海岸へ。おそらくリムリックからだけでも200キロ近い距離があるだらう。中央の何箇所かに、なんとなく峠のやうな、さほど峻険な山脈などは無いのだけど、それらを越へるうちに徐々に晴れ、ダブリンが近づくにつれて再び曇り空に。
今回はユーストン方面、巨大なギネスの工場を川向かうに見ながらのダブリン入り。いくつかある選択肢から、やはりバスステーションに一番近いアイザック・ホステルに入ってしまった。1泊18ユーロで2泊分、ただし明晩はベッドを移る必要がある。3階と聞いていやな予感が当たり、前回と同じ8人部屋。窓際は同じなのだが今回は上段のベッド。この部屋、鉄道高架のすぐ脇なので、電車通るたびにうるさいのだよ。でも倫敦行きのバスは早朝に出発のため、これ以上近い宿は無いので致し方無し。
チェックイン以後は電光石火。残金を速やかに計算し、銀行で必要分両替し、3キロ近くなった書籍やパンフレット類を印刷物扱ひで中央郵便局から日本に発送。17ユーロ。ホントハまだいくつか発送したいものもあるのだが、それは明天にしておかう。
その明天は、自力更生にてグレンダロックに行くつもりではあるが、さて、事の成り行きや如何に・・・・・・
今はかうしてしこしこと、例の中華ネット屋(夕方で満員御礼)にてメールだの日記だのこなして居る次第にて候。