ニューグレンジ再び

ニューグレンジ入り口

此処では矢鱈華人(中国人または中国系の人々)目に付くのは何故?
さておき、昨天もさうだったが今朝も、早朝の街角で物凄ひ勢ひで無料の新聞が配られてゐるのは何故? 倫敦でもさうだったが、複数種類が週に何回も、無料だから広告宣伝ばかりかと思って受け取ってみるとこれが全く予想に反し、記事もちゃんと載ってゐるし、テレビの番組表もあるし、内容は豊富。不思議なことだ。
今天は、昨天密かに申し込んでおいたマイナーな遺跡を巡る小規模ツアーへ・・・ちょっとした勘違ひでバスに乗れなかったので、急遽ニューグレンジ方面に予定を変更。こちらは基本的に往復の足が提供されえるだけのツアーバス(14人乗り)で、自力更生。オコンネルのピックアップポイントで待ってゐると、予定通り赤いミニバス(むしろワゴンだな)が到着。ちょっと不思議な訛の若者がドライバーで、すでに8人ほど乗ってゐる。その隙間に潜り込み、一路ミース県はボイン川渓谷方面に北上。昨天ほどの冷ゑ込みが」なかったのは、この曇り空のお陰かもしれない。しかし今度は雨の心配を・・・してゐるうちに雨が降り始めたが、30分ほどで止んでしまった。ニューグレンジまでは1時間弱の道のりだが、北上するにつけ徐々に青空も覗き始め、爽やかな天候に。是も即ち、偉人の日頃の精進とカイラス巡礼のお陰と勝手に解釈しておく。
さうかうするうちに車はボイン川南岸に至り、対岸彼方に巨大な古墳の雄姿。昔と違ひ、この南岸に専用のビジターセンターが建設されており、全ての訪問客(巡礼者)は其処を経由せねばならなくなってゐた。てうのも、ニューグレンジ一帯が世界遺産に登録された関係で、入場者の制限や厳しい遺跡管理が義務付けられたからなのだ。
                

                 
ビジターセンターは博物館も兼ねてゐて、ニューグレンジの成立に関する考古学的情報や出土遺物、時代背景の復元や映像展示など、実物大の羨道と石室模型も含めて大変面白い内容だ。客は勝手に遺跡を訪れることは出来ず、先づニューグレンジと近くの今ひとつの先史遺跡であるノウスのどちらに行くのかを選択する。勿論両者とも参観可能だが、そこでチケットを購入すると同時に、それぞれの遺跡を訪れるための専用ワゴンの乗車時間が指定される。時間を忘れないやうに、遺跡名や出発時間が印刷された色分けされたステッカーが胸に貼られるのだが、それまでの時間はビジターセンター(カフェやレストラン、ショップもある)やボイン川に架かる橋を歩いて渡り、遊歩道で自然を楽しんだりして過ごす。
                      
 
                    
ワゴンの出発地点は小さなラウンドアバウトになってゐて、行く遺跡と時間別に夫々の車に分乗して出かける仕組み。我輩はノウスが先だったので、そちらの車に乗り込み出発。田舎道を車で10分ほど行った丘陵上に、それはあった。遺跡に到着するとそれぞれのガイドが待ち構へており、1集団を20名以内に限定した上で、丁寧流暢で実にわかりやすく、遺跡に関するほぼ全ての事項が解説される。勿論歩き乍ら、各遺構や遺物(彫刻された巨石が墳丘周囲を取り囲んでゐるので、それぞれのところで)が解説されるのだが、周囲の美しい田園風景を楽しむ余裕もあり、実に素晴らしい管理公開方式と思った。
               
 
              
 
                       
解説がたっぷり45分もあったので、周囲の散策は15分間ほど。来たときの人数が集合するとワゴンがやってきて、一旦ラウンドアバウトへ。そこで帰る者や新たに来る者、更には別のワゴンへの乗り換へが行はれ、いよいよニューグレンジへ。こっちは5分ほどで到着。なだらかな丘の上になだらかな巨大なドーム、ファサードには何十キロも先から運ばれてきた白石やたまご石が積み上げられ、現代建築のやうな景観を呈してゐる。これまた口上口調共に流暢な解説者が出現し、面白く、しかしわかりやすく楽しく解説。内部への入場前に一通りの解説(冬至の朝日が一番奥の石室に到達するやうな設計がなされてゐることなど)を聞いて早くも上気興奮してしまった太ったアメリカ人が、解説者がまだ喋ってゐるにも関らず「これは、古代人のカリキュラマシーンだったんだね!」と口角泡を吹きながら半ば叫ぶやうに言ふと、困惑したやうな表情で「さういふ説もありますが・・・」などと冷静に嗜めてゐるのが可笑しかった。しかしだ、そもそもこの狭い羨道をだ、お前さんのやうな巨体が通り抜けられるのかい?
案の定、メリケン人が2箇所ほどある極端に狭い箇所でつっかかって仕舞ひ、後ろからドイツ人が押してみたりしてやっとこさ全員入定。石室内は奥と両脇の三方に別れ、中央天井は5m以上も持ち送りで積み上げられてゐる。各石室の巨大な石皿には、人骨やいろいろな遺物が乗せられてゐたやうであるが、持ち去られてしまったらしい。行儀よく全員が中央石室の周囲に並べられ、ガイドによって照明が消され、冬至の朝日が再現される。勿論照明をいくつか操作するだけの簡単なからくりだが、真の闇の床面に差し込む一条の茜色の光芒は、人間に因る珍奇な再現とわかってゐても猶、感動的であり神秘的であると感得された。さう言へば、前回はかういふ演出は無かったね。
              

                     
再び、メリケンデブを数人で押し出して、外に出てみるとあら不思議。晴天は何処かに去り、一面の霧雨に。勿論傘や雨具は持ってきてゐるが、例のメリケン人、羨道の石にこすれて汚れたTシャツを見て更に興奮し、「この汚れは一生洗うものか」などといってずぶぬれになり乍らも古代の余韻に浸ってゐる。おいおい、雨でそんな貴重な汚れも流れちまうぜぃ。
           
さて、再びビジターセンターに戻り、ポストカードなど買って出発時間となる。聞けばドライバーの若者はポーランドからのワーキングホリディで此処に来て、仕事してゐるとのこと。期限は1年なので、其の間にお金をためて、イギリスか何処かで仕事を見つけたいてう。出身は南部の古都クラクフで、我輩も嘗てポーランド各地を訪問したてう話をいろいろすると、大変嬉しさうだった。ポーランドグダニスクでパスポートや持ち物など全て盗まれてしまったので、その御陰様様でポーランド語もいくつか、まだ覚えてゐるぞ。
ビゼーニャ(左様なら)
さう言へばダブリンの街中で、ポーランド系の商店をいくつも見かけるが、何か特別な繋がりでもあるのだらうか。
          
今夜の宿は中央バスステーション近くのアイザック・ホステル(此処も昔泊まったところではなかった)。今夜は4人部屋で、ベルリン女とマケドニアからのカップルと同室。男は写真家で、我輩が日本人であると告げると最初の質問が、「大和魂とは何か?」であり、二番目の質問が「アマテラスの正確な発音と意味を知りたい」との不思議な内容。
世界はまだまだ、奥深い。