ダブリニア1

パブにて

寒い寒いダブリンの朝。
それにしてもおかしいな、巴里で天気など調べたときにはこんなに寒いとは出ていなかったのだけど。兎に角、中央バスターミナルで暫く時間を潰し、通勤ラッシュが一通り収まりかけた頃、荷物背負ってちょっと遠いが歩いてインターナショナルユースホステルを目指す。夕べ降ったのだらう、石畳の路上はまだ濡れてゐて、路地裏はどこもかしこも薄汚い。ビルの裏口や酒場の脇などは、ちょっと入っていくのを躊躇ふほどのダークな雰囲気だし、リフィ川方面から冷たい風が吹き付けてきて、朝の清清しい雰囲気は無い。
5分ほどでオコンネルストリートに出て、北上。嘗てネルソンの記念柱が立ってゐたところには、「光の尖塔」と称する尖った針のやうな記念物?が立てられてゐて、その高さは120mと尋常ではない。この偉大な目抜き通りには両側にずらりとバス停が並んでゐるので、まだまだ通勤ラッシュの名残の人波がどんどん南下してくるので、感覚的には遡上する鮭のやうだ。ゲート・シアターやヒューレイン市立美術館を横目に、緩やかな上り坂が続き、ちょっと体も暖まった頃、インターナショナルユースホステルに到着。(昔泊まったところではない)
レセプションで今晩分のドミトリーベッドを予約するも、いっぱいで連泊はできないとのこと。チェックインは11時以降とのことなので、とりあえず荷物を預け、1泊分19ユーロ支払ひ、暖かいカフェ1杯飲んでから荷物預けて再び街へ。その頃には通勤ラッシュも終はり、オコンネル通りの方々には観光客の姿。巨大な中央郵便局(1916年のイースター蜂起の義勇軍司令部)で切手を買ひ、リフィ川渡って道なりに歩んで行くと、其処は自然にトリニティ・カレッジに辿り着くのであった。
是も天啓と解釈し、早速『ケルズの書』との再会を果たさむと、キャンパス中庭を横切ってオールドライブラリー方面へ。入り口のショップが拡張され、既にたくさんの観光客で賑ってゐる。拝観料?入場料?8ユーロ支払って展示室へ。展示方法もよりビジュアルに訴へる方法に変化してゐて、それにしてもB5版ほどのページに描かれた図や文言を、展示室の巨大なパネル前面に拡大しても猶、細部の細部には無限の細部が潜んでゐるやうな精緻さであり、フラクタルで且つ無限循環の世界が凝縮されてゐるのだまと改めてしみじみ。
鶴岡先生のお陰か、日本語の解説パンフレットも出来てゐて、極東の島国から極西の島に遥遥来たりける異邦人にとっては有難ひことだらう。
書物の由来や製作技法、其の歴史的意味や意義などを一通り詳しく学んだのちに、更なる奥へ。薄暗ひ展示室の中央には、『ケルズの書』『ダローの書』が鎮座してゐて、人々が好奇の眼差しで覗き込んでゐる。以前は『ケルズの書』は毎日1ページずつページが捲られていくので、運が悪いと?文字だけのページしか見られないなどてうことがまことしやかに囁かれてゐたものだが、今は約三ヶ月毎に主要な装飾ページが展示されているので、がっかりすることはない。それにしてもこの書物の放つ並々ならぬ磁力は相当なもので、中世初期の僧院の奥深くで、いったいどれほどの時間を費やして製作されたのかは知る由も無いが、神秘性は超級であることに間違ひはない。
展示ケースのガラスに貼り付ゐて、あちらこちらから書物を眺めること約20分、恰も夢から覚めたやうに正気を取り戻し、上階のロングルームへ。全長65mのこの長大な図書室は、我々がいつの頃からかふと思ひ描く西欧の歴史ある大学や街の図書館の重厚な雰囲気を全て備へており、やや重苦しいが見飽きることはない。観光客が気軽にこれらの図書を手にとって見られるワケではないので、味はふのは雰囲気だけなのだけど、それよりも何よりも重要なのはさりげなく展示されてゐる古いハープだ。
15世紀頃に製作されたと推定されるそれは、恐らく吟遊詩人が持ち歩き演奏してゐたものであらうが、かつてのアイルランド紙幣や現在のユーロコインにおいては、シャムロックとともにアイルランドを象徴する文物として取り扱はれてゐるのだ。
寒い寒いダブリンの初日だったが、早々十分に中世的な雰囲気を堪能して街へ。ふらふらとその足で、ダブリン最古の教会であるクライストチャーチ大聖堂まで歩く。丘の上の教会堂の初源はやはり、先住民の祭祀場だったやうだが、考古学的手法でほぼ年代の特定ができてゐるのが1038年北欧系デーン人によって築かれた木の教会跡らしい。其の後1172年には当時の大司教ローレンス・オトゥールと有名なノルマン人騎士リチャーデ・ド・クレア=ストロングボウらによって石造の大聖堂が築かれていった。当時のロマネスク様式が断片的乍ら建築物の方々に散見出来、大陸のそれとはまた違った古拙な雰囲気の石彫が面白い。部分的にはロマネスクアーチと、ゴシック尖頭アーチが併用されてゐる部分もある。地価礼拝堂も巨大で、こちらは石積みも生々しく、恐ろしく重々しい中世の空気が列柱の方々に沈殿して残ってゐるやうだ。拝観料は5ユーロだが、フランスと違ってけっかうみなさんばしばしとフラッシュたいて写真を撮ってゐて、こっちが驚くほど。でも、ミイラ化した猫とネズミなんか、なんで展示してあるの?
教会堂本堂脇には中世の地下遺構も露天展示されてあるが、アーチで繋がれた会議ホールはダブリニアなるバイキングワールドてう名前の展示館になってゐて、ちょっと妙なノリだ。てうのも、数分前に近くで見かけたのだが、戦車のやうな水陸両用車がかなりのスピードで走ってゐて、所謂バイキング時代のダブリンを体験する観光ツアーなのだが、乗客は全員妙な角の生ゑたバイキングの帽子をかぶり、ガイド兼運転手はこの寒いのに手足のかなり露出した毛皮の貫頭衣みたいなのを着て走ってゐるのだ。恐らく運河などに下りて遺跡に到達するのであらうが、内容にこそ興味はあれども、あの格好をするのはイヤだな。
さて、其処から15分ほど南下すれば聖パトリック大聖堂に到達できるが、あっちは前回ジョナサン・スウィフトの墓石に「ラピュタ詣で」と称して献花してきたので、今回はパス。
                  
  
                     
それにしてもなんと長い一日、それも愛蘭土初日であったことか。日暮れ前にユースに戻り、改めてチェックインすると、2段ベッド×3=6人部屋で、部屋に居たのがマテオ(イタリア)とスティーブ(ベルリン)で、我輩が加はって日・独・伊三国同盟の構成となった。館内は巨大だが、いたるところにオランダからの修学旅行?の中学生が溢れてゐて、矢鱈奇声を発して走り回ってゐてウルサイこと甚だしい。中には階段に座り込んで、通っても足も引っ込めない女の子もゐて、鬱陶しいが仕方ないね。
インターネットは15分1ユーロで何台も並んでゐるのはよいが、試してみるとフランスの2倍以上の速度であることは非常に宜しいものの、どこをだういぢくってみお日本語表示が完全にならず、ましてや日本語入力はダメ。残念なことだがこれまた仕方ないね。
シャワー浴びてから夕暮れの街に出て、コッド(即ちタラ=フィッシュ)&チップスのお食事。これが8ユーロだが美味しくて美味しくてそれはそれは、勿論ギネスを、しかし1パイントはちょっと多いのでハーフパイント飲んで帰宿。
ハイ、おやすみなさい・・・
               
          

          
                   
                  

ケルズの書

ケルズの書