森の生活

森の中の水辺

森での毎日。
朝一番、といっても時間は8時半くらいなのだが、窓を開け放って深呼吸。森の精気を肺臓いっぱいに取り込み、体の内部から全身に浸透させる。日によって湿度や気温の関係か、針葉樹の深い香が全面に充満してゐるときもあれば、殆ど香無く、乾いてかさついた落ち葉の匂ひだけのときもあって、生命そのもの。これが生態なのだらうね。
よく晴れた夜の翌朝は、ほぼ前面に朝露が降って、そのまま森に踏み込んだのでは足がぐっしょりぬれて仕舞ふので、朝日によって水分がほぼ乾く10時過ぎまで待って、それから作業開始。
前日集めておいた小枝や枯葉を1ヶ所に集積して、風が無ければそのまま焚き火にしてしまふ。森の中に降り注ぐ光の束が、煙の漂泊によって明らかになり、木々を揺らす風の動きが反映されて複雑な光芒を描く。
森の下草の多くは、恐ろしい棘を持った茨だ。半円孤を描く独特の西洋鎌で果敢に挑むものの、茨は無限に繁茂してゐるので、キリが無い。しかし、森を周回する散策路だけはせめて確保しておかなければ、伐採や丸太の運び出しに支障があるので、刈っておく。
鋸は押し引きだが、押して切る。これが慣れないとなかなか扱ひづらいが、自動車の運転と同じで時間が解決してくれる。
あとは池の水面に落ちた枯葉を掬ったり、水草を程よく抜いたり、池の土手に垂れ下がった雑草をひたすら刈り取る。
だうやら鹿のやうな動物が、夜には来てゐるらしく、フンが落ちてゐる。日常的によく見かけるのは、雉や鶉、そして郭公のやうな鳥。時折白鷺のやうな鳥も来て、昔放しておいた金魚を食べてしまったらしい。睡蓮がまどろみ、小さなアメンボがせわしなく動き回り、いろいろなトンボが訪れる。小さな池は生命の源を担ってゐるのだ。
(-_-)
                   
さて、1週間の森での暮らしを一旦終へ、再びパリへ。車での移動だが、田舎での運転で少し、左ハンドルにも慣れた気もするので(気のせい?)、とりあえず中継地のシャルトルまで運転させていただくことに。田舎道だが基本的には制限速度は90?の様子。街中や通過する村の中は50だったり70だったりといろいろ。
森からシャルトルまでは30分ほど。大穀倉地帯の真っ只中にあって、遥かな畑地の彼方に、先づ大聖堂の尖塔が見えてくる瞬間は感動的だ。近づけば近づくほど、大聖堂は姿を消してしまふので、あとは標識がたより。こっちの信号は路上の空中に無く、道路脇に縦に立ってゐるので、見慣れるまで大変だ。
スパイラル式(2重螺旋)の地下駐車場に車を停めて、歩いて5分ほどで大聖堂ファサード。19年ぶりの再訪だが、周囲は車の乗り入れも制限され、小奇麗に変化してゐた。
聖堂内部を形容するなど、実に冗長だらうから省略。でも、身廊の床面に描かれた旋回する迷路のモザイク上を、多くの観光客や信者達や神秘主義者たちが裸足でさまよってゐる光景は奇妙だ。
今回は北の尖塔に登る。6.5ユーロ。巨大な鐘の脇まで行く事ができて、街を一望。旧市街に居並ぶ建物の数々や、複雑に曲がった路地の詳細まで、手にとるやうにわかる。そして、三方向からこちらに向って真っ直ぐに伸びてゐるのが、ローマ時代の街道だ。しばし時空をさまよひ、ガリアの昔に遊ぶ。嘗てここには、ケルトの人々も神を祀ってゐたのだし、魂の井戸も健在だ。
聖地は重層する。
(-_-)
                   
 
          
その後、車で更に1時間あまり、週末前の渋滞が始まった巴里に、舞ひ戻る? 吹き溜まる??
ダブリンには巴里から直行便のパスがあると思ってゐたが、調べて見ると倫敦乗換へとのこと。更に、週末は便が無く、致し方なく来週月曜朝の便のチケットを購入。
朝9時半に巴里を出て、午後4時50分に倫敦着。(43ユーロ) 倫敦は午後6時に出発し、ダブリン着が朝の6時半。(57ユーロ)合計100ユーロ。
さて、問題はトランジットといへども英国にすんなりと入れてくれるものかだうか。基本的に飛行機の往復チケットを持ってゐれば問題はなささうだが、片道切符ではちと心もとない。結局カレー・ドーバーのフェリーになるのだらうが、昔同じルートを通った時には何人もドーバーで追ひ返されてゐたし、我輩も友人の結婚式出席が目的だったが、さんざんいぢわるな質問された記憶が甦る。
駄目なら巴里に戻って、鉄路でシェルブールに出、そこからフェリーに乗るまでさ、などと平気なフリをしておかう。
(-_-)・・・・