ギメの曼荼羅

ギメ美術館の外観

巴里、霧雨。でも、ドイツやポーランドに雪を降らせた寒気団は去り、むしろメトロの中などでは蒸し暑さを感じるほど。
パバロッティがこの世を去り、テレビもラジオも朝一番のニュースはこれ一色。
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昨夜は午前2時過ぎまで、デファンスのアルシュに巨大なプロジェクターで映像が映し出され、めまぐるしく映像が変化し、だうやら音楽も伴った感じ。リハーサルなのか本番なのかは遠すぎて判然としないが、ブローニュの森にやってきたニュイニュイ(移動遊園地)とともに、夏の終はりを告げるイベントなのだらう。こちらの新学期は9月からなので、デパートもどこもかしこも文房具売るコーナーが特設されて、コビトだらけで閉口してゐたのだが、そろそろその騒ぎも治まりつつある。当然日記もほとんどが9月開始なので、自分用にもアジェンダを1冊、買っておく。(ペンギンが表紙のやつ)
        
今天はイエナのギメ美術館へ。リヨン生まれの収集家エミール・ギメによって創立され、東洋の美術品や考古遺物を収蔵・展示してゐる。(またリヨンが出てきた)
以前のどこか薄暗く、冷たく湿った感じは無くなってゐて、全館改装されて明るくなった印象を受ける。前回の訪問は18年前のことなので、当然だらうね。しかし、其の時も見たであらうカンボジアはアンコール遺跡群からの収集(剥奪?)文物だが、今回は現地を知ってゐるだけに感慨も一入である。
同じやうな感覚は、シルクロードの石窟遺跡から剥がし取られたそのものを、旅路の果てにベルリンのダーレムで遭遇した時のそれと同じだ。
バンテアイ・スレイ、バイヨン、ロリュオス、プリヤ・カン、プノン・ボック、プノン・バケン・・・
ナーガを抱いた巨大な橋の欄干や、乳海攪拌のレリーフ、嘗て人々が拝んだリンガとヨーニや小さな仏像の数々、そして癩王の頭像などなど、これらの仏たちは皆あの熱帯雨林の奥地から、はるばる船に乗って此の地に将来されたのだね。
(-_-)
                    

        
それにしても恐るべきはこの博物館(美術館?)の収蔵能力の広範さ。日本の文物は縄文土器にはじまって土偶、三遠式銅鐸、北九州の巨大な瓶棺、須恵器から陶磁器、仏像から浮世絵から屏風絵から軸ものまで、それが朝鮮半島や中国中原、チベットや新疆、アフガニスタンガンダーラなどの地区までの広大無辺広範無限な地域、更にインド、ネパールなどが対象になってゐるので、それぞれそれなりに収蔵されてゐるのだらう。
これらのほとけさまが、花の都から本来居た場所に帰ることは、まう無いのでせうね。
(-_-)
         
                 
 
          
               
日本の開国:エミール・ギメ あるフランス人の見た明治 (「知の再発見」双書) 西域美術―ギメ美術館ペリオ・コレクション (2)