カフェにて

カフェにて

ジョセファンはリヨンの出身だが、どうしてカタコトの日本語を喋るのかな。
その理由は敢へて聞かない。
カフェでの会話は基本的に英語で、そして日本語の単語とフランス語の単語のごちゃ混ぜだ。
巴里に出てきたのが6年前とのことだが、その理由も敢へて聞かない。
彼女は横に細長いレンズの洒落たメガネをかけてゐるのだが、レンズの向かうの瞳は青い。
青い目で見つめられると、黒い目の人は何処を見てよいのかワカラナクナリ、妙な感じだ。
こちらの人は皆、会話する相手の瞳をしっかり見続けるので、曖昧が美徳の極東からやってきた人としてはちょっと苦手だな。
でも、青い目で見る巴里の空も、青いのだらうか。
青い目で見る黒い目のかむばせは、どのやうに映るのだらうか。
マロニエの葉が日に日に色付き、カサカサと乾ゐた音を立てて石畳の上を飛び去って行く。
ミラボー橋の彫像は青錆びて、悲しげに涙を流してゐたが、このメトロの入り口の鉄柵には20年前、僕がトンボの涙を塗っておいたのだ。
そんなことも知らずに、人々はお互ひが激しく無関心を装って、せわしげに往来する。
マロニエの実が石畳の上でバスに踏み潰されて、悲しげな音を立てる。
さて、ここはどこで、私は誰で、貴方は何処へ行かうとしてゐるのかな。
カフェのテラスから見上げるサクレクールは限りなく、白く光り輝いて、青い瞳も眩しさう。
さて、私は何処へ行かう。