行水與光芒之謎

黄昏日没を観じ、入想観ぜよ

明け方まで断続的に小雨降るものの、早朝からの蝉の鳴き声に変化無く、草木は多少潤ひ得て瑞々しさを増したやうではあるが、涼しいワケではない。当然熱帯夜なのだらうが、どこもかしこも全て開けっ放しで、車の騒音や排気ガスなどとも縁遠ひ環境であることには感謝せねばなるまい。
さう言へば昨天午後、ミンミンゼミやクマゼミの声に混じって、短時間ではあるがツクツクボーシの声聞く。そして今夕は、竈の煙突にアブが止まってゐるのを発見。忌むべき吸血アブだが、彼らの跳躍跋扈する本番はこれからであり、夏の後半で一見変はり映ゑの無いやうに見へる夏の日々も、細部には神が宿り、確実に変化遷移してゐるのだね。
ところで、肝心の人間様はどのやうに変化してゐるのでせうか?
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不断は黄昏時以降に、儀式的且つ習慣的におこなってゐる行水を、今天は夕方を待たず敢行。
庭に出したままのコンテナとバケツに湛へた水は、予想以上の温度に温まってゐるので、何ら躊躇する必要はないし、いつもは気になる蚊虫の心配も殆ど無い。但し、寧ろ留意すべきは近所の目だ。我輩に言はせれば、近所こそ世間の最たるものであるのだが、当地ではあくまでも我輩が世間様そのものでありまして・・・我輩の方は行水中の姿を見られやうが一向に構はないのだが、不意に見せられる方が災ひだらうから、中庭に面した門長屋の正面に軽バンを移動させ、目隠しにしてから開始。
中庭には一面に、海岸から拾ってきた平たい丸石が敷き詰めてあるし、その隙間にはびっしりと、ミントやタイムが繁茂してゐるので裸足で立っても良いのだが、さすがに座り込んで体を洗うとなると蟻も居ることだし、風呂用の敷きマットが必要だ。汲み置きのぬるま湯以外には長いホースに繋いだ散水栓が有るだけだが、日向での行水の仕上げは、水で十分なのだ。
一夏に何度も、斯くの如き状況で庭での行水修行をするワケだが、其の様子は何度も近隣の住人達に目撃されてゐる。昨年夏はたまたまチベットを旅してゐたので、遂に一度も庭での行水をする機会は無かったが、一昨年は二度、行水中に危機に見舞はれた。其の一度は、近所のおばばさまの不意なる来訪であり、今一度はコビト達のロケット花火による攻撃であったのだが、状況詳細は推して知るべし。
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盆の民族大移動は、早くも帰還方向へ。全国各地の高速道路の渋滞情報で、何キロ数十キロてう数字を聞くに付け、つくづくご苦労様々なるべきことと思ひ候。当然、当地は東西の往還路であり、景勝観光地でありますので、国道上を行き交ふ自動車ナンバーをぼんやり眺めてみると、余所者の如何に多いかを改めて知る。
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黄昏に同期し、いつものやうに自行車で岬へ。
恐らく20キロメートル以上有るだらうか、湾口の雄大な景色の彼方、対岸の半島の山地にかけて、西日に彩られて雨の降りたりけるを見ゆ。我が頭上は快晴で、今将に夕焼け小焼けで闇の世界に沈みはじめたばかりてうに、彼岸は雨降り、其の光景を神仏の如く対岸より眺望する贅沢さと尊大さ、そして不可思議さ。
更なる不思議は南東の空の情景。闇の忍び寄るはずのひむがしの彼方より、恰も光芒の如く二条の不思議な直線が長く長く伸びて、西方浄土に至る様子。既に太洋は西の半島の山脈の谷間に沈んだあとの話であるので、積乱雲の陰影の顕現かと思ったが、なかなか説明の付かない情景だった。
此は果たして、東海大地震の前兆か、はたまた解脱の吉兆か。改めて入想観を修し、試みるもまたをかし。
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前兆? 吉兆? 凶兆?