何もしないのこと

きんいろの常世浪

別に忙しくても一向に構はないのだが、同時にそんなに忙しくなくてもよいワケで、今天は後者だ。
新月ペルセウス座流星群の出現極大日が重なるやうに、神社の鳥居と冬至の日の出の方向が重なるやうに、用事に所用や予定が重なりまくる、所謂「惑星直列式多忙日」なるものが確かにあるが、それはそれでよいのだ。そんな時には状況を逆手にとって、所用と用事の間隙に更なる催事を挿入し、電光石火式にそれらをこなすことによって、意図的に能率を上げることもある。
今回は帰国後、其の当日から工作現場の視察や其の他いくつか、同時にあれこれをなんだかんだしてゐた為、気が付くと可成り疲労の蓄積したままの自分が置いてけぼりのまま取り残されてゐたのだ。
楽しさうな異国での旅の夜風にも、それはそれでそれなりに言語中枢に蓄積する疲労や好奇心の先立つ肉体疲労など、知らず知らずのうちにかなりの疲労が蓄積されて行くワケで、異国に身を置く緊張感の産物だ。完全なる弛緩を毎天の睡眠と共に得られる人も居るだらうが、故郷や自宅におけるそれは矢張り格別だらうと思ふ。
今天の起床は午前6時過ぎ。といっても、恒例の蝉の超音波総攻撃に負けての不快な目覚めだったので、暑さにもめげず縁側方面を閉め切って再び床へ。勿論扇風機は遠巻きにかけたまま、てうのも蚊帳の中まで微風を到達させるためには独自の角度調整が必要なので、定位置からの送風。しかし、暑さに負けて、「昼まで眠る」てう決心とは裏腹に、10時再起床。
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洗濯数回と、台湾より将来した茶器の使ひ初め。茶葉は最終日に基隆の商店街で買った凍頂烏龍茶の中級。ぐらぐらと湯を立てて、独特の形状の茶壺(急須)へ。把手は付いていないので小振りの茶壺全体を包むやうに持ち上げ、淹れた茶を注ぐ。口に含むと、蘭の花のやうな仄かに甘い独特の香りが鼻腔に抜け、口福感を味はふ。額には一条の汗。でも暑いときに暑いお茶を淹れ、多少汗流しつつも嗜むのもまた宜し。
音楽はラベルのピアノ曲、それとショスタコーヴィッチのピアノ協奏曲をメインの再生装置で再生しつつ、卓上の電脳方面ではアラブ音源を垂れ流す状況。やはり、左右の耳で明瞭に聴き分けるワケでもなからうが、同時にいくつかの音が流れてゐると脳内がより活性化され、結果的に覚醒して落ち着くので、個人的には宜しいワケで・・・
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夕方は常なる如く、自行車で一路岬へ。盆休みに週末が重なって、表浜にはもっと多くの釣り人が出てゐるのかしらむと思ってゐたのだが、数へるほど。勝景ポイントの園地駐車場にも車数台とバイク1台のみで、はてな、お盆休みの観光地はこんなものかしらむと怪しむほど。
見渡す限りの空に雲無く、金色の太陽も黒々とした岬のむかうの、更なる彼方の海山の果てに沈み行く。内湾で漁を終へた漁船が次々と、湾港から太洋に出て港に帰って行く。南風に運ばれた飛沫と砂が、時折煙の如く巻き上がり、自行車道や原生林の風衝樹に降り注ぐ。
西の果てがきんいろからあかねいろ、そしてうすむらさきいろからぐんじょういろの闇に吸ひ込まれて行って、気が付けば空には無数の星の輝く。