大夏小夏

偉大な公会堂

夏らしいと言ってしまへばそれまでのことだが、屋外工作者にとっては兎に角辛ひ暑さである。
(−_−);大汗+日焼け
旧暦ではまんだ6月27日なのですが・・・
   
長崎の昔を思ひ、黙祷を捧げ、今天的活動の開始とする。台湾台中から船便で発送した小包が届かないので、台湾的データの整理や地図などの紙資料の整理もまだまだ途上であるが、改めて本土より南洋遙けき台湾の「国のかたち」に思ひを馳せるとき、旧懐と尊敬と共感の入り混じった素直な感情が湧き上がってくる。
ともすれば琉球よりも、其の空気が身近に感じられる不思議さ。大陸なら、毎天が人民との闘争であり、常時総迎撃態勢を強いられる場合も多い。*1
香港は長く英国式だったが、10年経ってしまへばやはり、大陸の一部に繋がりつつもぶら下がってゐることの本質が発現し、余程の金持ちを除き静謐や安穏とは無縁の構造になってきてゐることは間違ひないだらう。其の点矢張り台湾は島国であり、精神的な連繋はさておき、地理的に隔絶された安定感と不安感を併せ持ったまま、確実に精神文明は熟成され、成熟期の末期を迎へつつあるやうだ。
これは次回のテーマだな。
(−_−)フムフム
         
今年は一切駆除しなかったので、庭の葡萄の葉は全滅。ほぼ全てがカナブンとコガネムシに喰はれ、葉脈だけになり果てたりける。肝心の葡萄の房も、栄養不足で小さなものが5〜6房ぶる下がってゐるだけ。ちなみに例年は数十房を収穫しておりましたのですが・・・
兎に角ともかく、今夏我がパナリガーデンでは毛虫も大量発生してゐるし、チェリーセージの枝先には蜂の巣もひっついてゐるし、大雨とともに流れ去ったメダカの不在によって蹲ひには大量のバウフラが湧いてゐるし、蝉は6年ぶりの大発生であるし、溢れる自然との闘ひはまだまだこれからなのだ。

         

*1:長年はびこってゐた所謂「没有」攻撃は影を潜めつつある