油切り

草木深し

原油価格がどんどん上昇し、末端の消費者たる我々に直接其の影響が降りかかる。
嘗ては1リットルが100円を切ってゐたガソリン価格が、今や140円以上。想像してみ給へ、末端の多数の消費者が支払ふ上昇分の塵が積もらずとも、列島全体では想像を絶する金額となって集計されてゐるのだらうてうことを。それがいまや世界規模。かうなると想像を絶する額のオイル差額マネーを懐に入れて儲けてゐる何者かが中東だのメリケンだのの何処かに居るワケで、こんなものへの想像の翼は広げたくないものだな。
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さておき、以前から友人と話してゐたことだが、日本のやうな石油資源の無い国では、1リットルが200円位でも良いのではないかと。但しそれには前提条件がいくつかあって、その筆頭が高速道路の無料化だ。
自動車は多重課税の象徴物だが、いまや都会の生活ばかりならず、田舎の生活にも無くてはならないものになってしまってゐる。日常の生活行動で、例へば東京都内のやうに公共の交通機関網が複雑に絡み合ふほど発達した都会なら、自家用車など持つこと自体がステイタスとなりうるのだらうが、公共性に頼ってもさほど不自由は感ずることはなからう。しかし、今や田舎では、徒歩や自行車で訪れることの出来る範囲に商店などが存在する可能性も低下する一方であり、自家用車を所有してゐることを前提とした道路網の整備や町の構造に変化してきてしまったのだ。
嘗て何度か、自家用車が爆発して使用できないことがあったが、そんな時の為にも用意してゐる単車で方々に出掛け、買ひ物など余儀なくされてゐた。然し、一度に持ち帰ることのできる量には自ずから限界があって、自動車で週に一度か二度、まとめ買ひをしてくる習慣になってゐた我輩の日常に、さざ波が立ったことは言ふまでもない。
家の至近から利用できるバス路線があるワケでもなく、バス停でさへ車で10分ほど行った国道沿ひにしか無い環境で、車のない生活をしやうと思ったら、それ相応の覚悟を決めねばなるまい。
他の覚悟なら日常的に大小各種揃へてゐたが、此のガソリンなどの油類に頼り切った生活様式からは、そろそろ本気で脱却しなければならないのではないだらうか。
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関係有るのか無いのかよくわからんが、台湾では「油切」飲料が流行中であった。「油分を切る」即ち、摂取した油分を洗ひ流すやうな効果を持った飲料のこと。我が邦で言ふところの、カテキン系飲料や黒色烏龍茶飲料のやうなものだらうね。
人類はあらゆる意味で油分との接触を好む傾向にあるやうだが、食品類も内燃機関系も向かふ方向は「油切」なのだ。